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その50:センタースクエア―コアシティ立川間
都 市 の 墓 碑 銘
Joseph Kosuth
copyright:photo byS.Anzai
 ファーレ立川センタースクエアとコアシティ立川の間には地下駐車場への車路があり、かなりのスペースを占めています。この車路壁をとりかこむかたちで、文字が刻まれた石板が2段取付けられています。
これは、アメリカの芸術家、ジョゼフ・コスースさんの作品「呪文、ノエマのために」です。刻まれている文章は、日本の石牟礼道子さんの『椿の海の記』の一節とその英訳、アイルランドの小説家ジェームズ・ジョイスの『若い芸術家の肖像』の一節(英語)とその日本語訳です。

 人の言葉を幾重につないだところで、人間同士の言葉でしかないという最初の認識が来た。草木やけものたちにはそれはおそらく通じない。無花果の実が熟れて地に落ちるさえ、熟しかたに微妙なちがいがあるように、あの深い未分化の世界と呼吸しあったまんま、しつらえられた時間の緯度をすこしずつふみはずし、人間はたったひとりでこの世に生まれ落ちて来て、大人になるほどに泣いたり舞うたりする。そのようなものたちをつくり出してくる生命界のみなもとを思っただけでも、言葉でこの世をあらわすことは、千年たっても万年たっても出来そうになかった。
石牟礼道子『椿の海の記』
 
 この映像を思い浮かべて、彼は奇妙な暗い思索の洞窟を垣間見たが、すぐそこから眼をそむけた、まだ、あのなかにはいっていゆくときではない。この友人のものうげな様子は、きちがいなすのように、まわりに希薄な毒気をまきちらすように思われた。そして彼が、次から次に右や左に現れるかりそめの言葉に視線を投げながら歩いてゆくと、それがみなその場限りの意味を失って沈黙し、しまいには下らぬ店看板が彼の心を呪文のように金しばりにする。そういう死語のうず高い山をよけながら横町を歩いてゆくにつれ、彼は魂が老衰のせいで吐息をつき、萎えてゆくのを、虚ろな驚きの気持ちで見ていた。彼じしんの言語の意識が脳裡から潮のように退き、言葉そのものに細かい流れとなってしみ入ってくると、言葉はとりとめのないリズムで結び合わされたり、解きはなされたりした。
ジェームズ・ジョイス『若い芸術家の肖像』


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