第2部 形態と慣習
第3部 変化
3.01, 3世紀前、"servant"という言葉は耕夫、馬車挽き、酪農 婦、徒弟を意識していた。/奉公人は1574〜1821年の63件 の教区一覧表の人口の13.4%を構成している。/奉公人の 大半は若く、15〜24歳人口の60%を構成していた。 3.02, 奉公人と徒弟は結婚を待つ一方、技術を身につけたり賃 金を貯めるための仕事を持ち、自分自身を養う義務からは 自由だった。彼らは契約の質、住居、配偶状態において成 人賃金労働者と異なっていた。農業家、手工業者、小売商 人は子供の数と技術に依存せず世帯の労働力を編成できた。 /両親は子供を送り出すことはできるが、他人の世帯を援 助することはできなかった。/本書は人口、家族構造、相 続、経済機構、農業慣習にも注目する。 3.03, 19世紀になると一部の奉公人は女中と呼ばれるようにな り、家の管理と個人的必要を満たすために雇用された。19 世紀末までに、奉公人の過半を占めるにいたる。/しかる に家内奉公人の大部分は女性、少女であり、より生産的な 奉公人は男性であった。 [ある教区の奉公人の男女の比率(1851年)] 家内奉公人:13:100 農業奉公:213:100 教区全体:107:100 農業家の世帯:121:100 手工業家の世帯:171:100 4.01, [農村の奉公人と都市の徒弟の相違] 徒弟:主人に家賃、食費、訓練費を払う 主人と徒弟の間で書面契約が結ばれる 期間は数年間 奉公人:主人から賃金を受け取る 主人と口約束、または暗黙の了解で契約する 期間は通常1年間 /農業は近世イングランドの支配的な職業であった。農 業家は手工業者や小売商人よりも多くの奉公人を雇用する 傾向があった。 4.02, [奉公人の特徴] 年季契約・継続的に利用可能な労働力 農業家の居宅に住むので生活費変動から保護される 子供時代〜成人期までの過渡的職業 4.03, 近世農業の雇用労働力の2分の1〜3分の1が農村の奉 公人によって供給された。 5.01, [農村の奉公人研究の問題点@] 農村の奉公人の記録が貧弱で断片的なこと 5.02, [農村の奉公人研究の問題点A] 近世と現代では用語と分類の仕方が違う ※家族は世帯主の妻と子供と奉公人を含んでいる 5.03, 近世イングランドの servant には大きく2つの意味があ る。1つは、1人の主人のために働き扶養される者全てを 指す狭義の意味である。/生産的な奉公人と怠惰な奉公人、 非生産的な奉公人の間の区別は単純ではない。耕夫も召使 いも酪農婦も小間使いも全て servant である。/農業奉公 人と個人的な使用人の区別も明らかではなかった。 6.01, 2つめは他人のために働く全ての者を含む広義の意味で ある。一般的な意味で使われる場合、servant は狭義の奉 公人と日雇い労働者からなる。2つが同時に使われる場合 は混乱が生じうる。 6.02, 労働者が賃金労働者を指す一般的用語になったのは19世 紀のことにすぎない。/19世紀半ばまでに、「労働者」は 「奉公人」を一般的な語法上ほとんど駆逐している。/ 1851年センサスの集計者は変化の最中にあったため混乱し、 農業奉公人と農業労働者の基準を農業家の居宅で寝起きし ているか否かにした。 7.01, [servant の様々な用例] 北東部の大所領で、雇用主から与えられる小屋に住む既婚男性 荘園で、家畜の世話専門のフルタイム労働者 ※中世の famuli(奴隷)から発達したか? [奉公人が農業家の居宅を追い出される過程] 賄手当が賃金に加算される ↓ 奉公人が自分でやりくりできると期待する ↓ 農業家が奉公人との共住を忘れる ↓ 恒常的な労働者になる 7.02, 一般に奉公人は1年間雇われ農業家とともに暮らす労働 者を言う。労働者は短期雇用でよそに住む労働者を指す。 7.03, 後に家族は家父長的家族の権威の下に暮らす全ての者を 含むようになる。 7.04, 近世の家族は全ての親族と奉公人を含んでいた。/家政の 手引きは奉公人を妻や子供と同列に論じている。皆、隷属 的な家族成員であった。 8.01, 奉公人は耕夫と酪農婦を含んでおり、家族は奉公人を含 んでおり、そして労働者は別れて暮らしていた。/奉公人 はどのようにして家族の構成員であると同時に賃金労働者 であったのか。 8.02, [奉公人の立場についての議論の批判] Macpherson:賃労働の側面に片寄りすぎ Everitt:家族成員の側面に片寄りすぎ ※Everitt は家父長制下の多数の農業労働者というパラド ックスを未解決 8.03, 奉公人は雇用主の家族への従属に付随するものとして賃 金を受け取っていた。/奉公人の地位は主人、亭主、父親 への従属、正しい社会秩序から派生している。/King は妻 と子と奉公人の数を単純合算することで世帯主の地位を調 べている。 9.01, [奉公人の特徴] 賃金所得者だが不自由身分ではない 政治的には無力な存在 資産を持たない 未婚の若者 主人の政治的権威に従属する 家族の従属的な成員として暮らす ※近世の家族は貴賤を問わず奉公人のやり取りをしていた 9.02, [今日の分類範疇との対照] プロレタリア:奉公人は「貧しい労働者家族」には含まれない 賃金労働者:継続的に雇用される奉公人、住み込みの奉公 人、季節的に失業する労働者、自分の家族を養う 者はそれぞれ異なる 労働力:奉公人も賃金を要求するので含まれる ※近世の慣習では分類範疇の埒外だった 9.03, 19世紀に入ると奉公人、労働者、家族は現代的な意味で とられるようになる。これはイングランド南部と東部で農 村の奉公人と労働者との違いが重要でなくなった時期であ る。/19世紀半ばまでに、大部分の奉公人は女中になって いた。1830年代までに、イングランド南東部の半分で農村 の奉公人は労働者の子女になっていた。彼らは労働者にな ることを運命づけられていた。奉公人を供給する層と雇用 する家族の社会的経済的格差は広がった。1851年までに、 南部と東部で雇用される奉公人はほとんどいなくなってい た。貧民の若者の大部分は日雇い労働者として働いたので ある。
11.01, 農村での奉公が雇用労働の大半を占める図式は、19世紀 半ばのイングランド南部と東部では当てはまらない。 11.02, センサスでは農業奉公人、日雇い労働者、農業家の区別 がほとんど不十分である。 [1599〜1831年の55の一覧表] 世帯主の呼称と世帯の地位を記載 奉公人は15〜24歳に集中している ※当該年齢集団は人口のせいぜい19% 奉公に伴い移動する若者の比率が過小評価されている 農業家世帯の46.4%が奉公人を含んでいる そのうち奉公人2人だけが59.0% 11.03, ここでは機能的な分類で農業奉公人、日雇い労働者、農 業家を考えているが、一覧表の作成者は身分を中心に考え ていた。/一覧表でいうジェントルマン、聖職者、寡婦、 手工業者、小売商人、どれもが農業家かもしれないし本業 か副業かを知る術はない。農業家、ヨーマン、牧畜業者、 農夫と呼ばれる者によって雇用された農業奉公人の数が判 るにすぎない。/ジェントルマン、聖職者、寡婦、手工業 者、小売商人に雇われていた農村の奉公人を除外すること で、その本当の数が過少評価されている。 [奉公人が兼業した仕事の例] 農夫・酪農の監督・spoolswinder・羊飼い 14.01, 日雇い労働者の人口規模は所帯を持つ労働者の数からし か得られない。農業に従事する労働者、手工業者、小売商 人の子供は認識されない。パートタイム労働者は特定でき ない。一覧表は彼らを妻、子、大工、農夫と記載するから である。 14.02, 農業奉公人と労働者がすべて同一の力と技能を持ってい たわけではない。 [理論的予想] 奉公人:若いため未熟練で脆弱 労働者:高齢で脆弱 15.01, 多くの女性が生産的な奉公人として重要だった。なぜな ら女性は農業奉公の衰退の結果、農業における生産的役割 の多くを失うからである。/女性の労働者は1851年センサ スを除いて検証できない。 15.02, 農業奉公人に占める女性の割合は常雇いの農業労働者よ りもかなり高かった。表2.2は19世紀を通じて農業奉公が 残った州のうち5つのもので、農業労働者と農業奉公人の 比率を示している。 16.01, ヨーマン、農夫、牧畜業者、農業家に対する奉公人の総 数と、所帯を持つ労働者の総数を見ることで、1800年以前 の農業の雇用労働力構成が判る。 [図2.1の説明] S:農村の奉公人の比率 S+L:農村の奉公人と日雇い労働者の総数 ※資料は表2.1を使用 [図2.1の結果] 全労働力の56%が奉公人 中間値では農業家:奉公人=1:2.65 16.02, [隊員名簿の批判] 女性が含まれない 全奉公人の半数は若すぎて招集不可能 16.03, [民兵一覧表の批判] 18世紀後半から始まる 農業家が非労働的職業の大半を占める教区のみが選ばれる 以前徴兵された者は記載されない 18.01, 農業家のための奉公人は他の奉公人と区別できない(徒弟 はどの教区一覧表でも別に分類されているが) 18.02, [Arthur Young の観察(1770年頃)] 355の農場について記録 農場規模は30〜11000エーカー 恒常的な雇用は奉公人1482人、労働者1401人 雇用労働者のいない農場は1つだけ 1人の労働者だけ雇用する農場は6つ(30、200〜1000エーカー) 継続的な労働者がいないのは82の農場(23.1%) 資料は大規模で先進的な農家に片寄っている ※大規模農家は奉公人より労働者を選好する傾向がある 18.03, [定住調査の批判] 治安判事が行なう 貧民の法的な居住地を決定する 貧民給付の受給資格は奉公、徒弟奉公による1年の教区滞 在で与えられる 年ごとの移住は前の定住地を無効にする 女性は結婚すると夫の名前と定住地に変わるので調査に現 われづらい 貧民=奉公人とは限らない(全体よりは奉公人が多いだろうが) 19.01, [定住調査の検討(17世紀後半〜18世紀初頭)] 南部と東部の11の州の2201件の調査では調査された者の 81%が奉公人 Oxfordshire、Berkshire、Hampshire では44.4〜68.2% (推測値) 19.02, 17〜18世紀の資料はイングランド農業における農業奉公 人の存在を示しているが、1851年のセンサスは違う。 [地域的傾向(1851年)] イングランド南部と東部:相対的に奉公人が少ない 〃 北部と西部:相対的に労働者が少ない [1851年のセンサス調査表の定義] 農業奉公人(屋内):農業家の家に暮らす全ての農業労働者 農業労働者(屋外):農業家の居宅に住まない全ての農業労働者 (羊飼い除く) /労働者に比べ奉公人が少ない州は、農業家の割に労働 者の総数が多い。 20.01, 1851年のセンサスとそれ以前の一覧表では信頼性、対象 地域の範囲に大きな差がある。/1851年のセンサスでは奉 公が重要でなくなった州でも、それ以前の一覧表では奉公 人が労働力の非常に大きな部分を占めている。 [全農業労働者に占める農業奉公人の比率] ケンブリッジ・グループの資料:0.49 Arthur Young の資料:0.51 1851年センサスの平均値:0.21 Hertfordshire(1851年):0.04(イングランドの最低値) Northamotonshire(1851年):0.07 18世紀の民兵一覧表:0.39、0.48 20.02, [図2.5の評価] 南部、東部全体の中間値は0.51から0.08へ急落 北部の中間値は0.68から0.51へ漸減 22.01, [農村での奉公が繁栄した理由] 近世イングランドの経済的・技術的・社会的・人口学的環境と適合 奉公人の需要と供給 主要な競争者である日雇い労働者の供給が抑制されていたこと 22.02, イングランド式ではない農業は非常に季節的なので継続 的な配慮を要しない。 [農業の季節性] 牧畜業:労働力需要のピークは羊と牛の出産、毛刈りのある春だけ 酪農業:家畜の世話だけでなく搾乳とバター、チーズの製造 も要求される 穀作農業:草むしり、鍬掘り、草刈り、刈り取りは夏と初秋に集中 /大部分の農場は牽引用の家畜を使える程度には大きか った。近代的な農業機械とは異なり、牛馬は日々の世話を 必要とする。 22.03, [日雇い労働者供給の抑制要素] 割当食糧・荒れ地・小農地・農村工業・商業 ※割当食糧は「労働者を怠惰でいさせる方法」(1794年) ※荒れ地を名目に労働者供給を避けることがあった 23.01, 小規模農場と中規模農場の混合は奉公人の需給を強化す る。小規模農家は幼い子供を奉公に出すことで扶養の負担 を減らすことができる。大きい方の農家はそれほど多くの 労働者を雇わない。居宅に下宿させるのが難しいからであ る。 23.02, 農村工業と商業は奉公人を要求するが労働者は求めない。 /農村工業と商業が盛んな地方の農業家は所帯持ちの成人 の気を引く際に競争しなければならなかった。農業と農村 工業の兼業は雇用労働を必要とした。 [手工業と農業の兼業の例] 農業家の世帯主は農業に専念できない 世帯主の穴は農業奉公人が埋める 雇用の主体は世帯であって世帯主ではない [その他の兼業の例] 農業奉公人──レンガ職人・亜麻職工・宿屋の管理人 23.03, 北部と西部での農村工業、牧畜業、小農場、散居形式の 結合は農村の奉公人を特に必要とさせるようである。農場 が孤立している所では、拘束労働力が不可欠である。なぜ なら独立した労働者は農業家の招請に簡単に応じないから である。 [Hitt の分析(年)] 集居形式:日雇い労働者が支配的 散居形式:農業奉公人が支配的 24.01, 奉公は核家族、高死亡率、高結婚年齢の農業環境に特に 適合していた。核家族が供給可能な労働力、そしてその需 給に見合う労働力は恒常的に変化し、労働供給はしばしば 需要変化の枠外だった。 [家族ライフサイクル] 大人2人 ↓ 大人2人+子供2人(世話が必要) ↓ 大人2人+大人2人 ※労働の需給の周期的不均衡は家族農業の基本的問題 24.02, [労働の不均衡の解決方法──水平的拡大家族] 複数夫婦が互いに循環的変化を打ち消しあう 世話が必要な子供だけでなく生産的な子供もいる 家族規模と各家族の保有地規模の不均衡の問題 24.03, [労働の不均衡の解決方法──分益小作・ミール共同体・土地市場] 家族の労働力にあわせて保有地規模を変更する 家族の努力に大きく依存 土地規模が一定の場合よりも労働の見返りは大きい 若い家族が信用を使える場合、土地市場が同様の効果を示す 24.04, [労働の不均衡の解決方法──奉公人] 家族を再編成することで循環的変化に対処 若者は労働力が不足している家族に雇用される 農業家は超過労働力が必要な時でも子女を奉公に出した ※だからといって、適切な奉公人が得られる保証はない 24.05, 農業奉公は貨幣、日用品市場、保有地規模の相違のない 所で存在できた。伝統的な要求は、消費と労力を一定水準 に保とうという家族の欲望と、奉公人労働の限界的貢献と 限界費用のつりあうところで保有地規模を保つことにすぎ ない。/賃金は食事、下宿、家畜を通じて奉公人に支払わ れた。 25.01, [農業奉公人が受け取ったものの例] 貨幣賃金・年季の間主人の羊を飼う権利 /農村の奉公が行われていた場所ならどこでも、賃金の 支払いを収穫後まで遅らせたり、食べ物、飲み物、下宿と いった現物給与を増やすことで農場のキャッシュ・フロー の問題を解決した。奉公人の強制貯蓄は年季契約の間の主 人の信用の優位性を示している。 25.02, [相続形態についての Habakkuk の分析] 不分割相続:法定相続人以外を永続的に移民させる傾向がある 分割相続:ある決まった家を基盤とした季節的移動を助長する 25.03, 伝統的な分割相続は土地の分割をしないですむような核 家族、血縁家族を維持するためのものだった。/誰が家に 残り誰が出るかを決めるため、非公式の制度が必要とされ た。/遺言が第一等の法定相続人に兄弟への資産分与を命 じる場合、そして資産の分与が遺言でのみなされる場合、 不分割相続は資産の分割を誘うだろう。 26.01, [突発的死亡の問題] 予期できない死亡があっても、奉公人が速やかに穴を埋める 大規模な結合家族は成員が死亡しても作業を再編成できる [工業化以前の「家族計画」の批判的検討] 避妊と中絶による出生管理は望ましい極限家族規模を実現する 高死亡率は「家族計画」を攪乱する 奉公人は事後的な家族計画と言える ※余剰の子供が労働力不足の家族に送り込まれる 26.02, [晩婚の効果] 晩婚は農村の奉公を助長する 未婚の成人は大部分が潜在的な奉公人の供給源 (既婚の労働者は少ない) 奉公と晩婚は世帯の設立・独立に必要な貯蓄を可能にする 晩婚は避妊以上に人口増加を抑制する 26.03, [家族構造と農村の奉公の関係のまとめ] 核家族(血縁家族)の労働の需要と供給を均衡させる 南欧・東欧のように望ましい家族構造が結合家族の所では 一般的ではない 土地再分配制度が存在する場合も一般的ではない [Laslett の西洋家族の3つの特徴] 奉公・高結婚年齢・核家族構造 26.04, [農村の奉公と制度の相互的影響] 農業奉公人の晩婚 貯蓄を可能ならしめること 小農場の需要を支えること 無産者という、労働力上の競争者の供給を抑制する 核家族の経済を突発的死亡から保護する 自分の子供だけを使う場合より高い生産性を保証する 27.01, 奉公人は小屋住農、手工業者、小売商人、農業家の出身だった。 27.02, [農村の奉公についての統計的概略] 近世の広範な慣習だった 近代になるとイングランドの半分で消滅
31.01, [農村の奉公の原則] 成人の職業ではなく、子供時代から家族を得るまでの過程 契約にもとづく制度。通常年季契約で更新可能 奉公人は農業家の家で扶養される 31.03, この原則は16世紀 Middlesex でも20世紀 Yorkshire で も普通だった。 契約と法律 31.05, 法は主人と奉公人の関係の構造とその維持に触れるだけ である。/主人と奉公人は慣習的に協定を定めた。 [契約の中身] 手付金(earnest・hiring penny・fastening penny・God's penny) 記載がない限り契約期間は1年 契約は慣習的な雇用日〜年季明けまで有効だが12ヶ月には満たない 契約は無条件で奉公人を拘束する 主人は奉公人を養い所定の賃金を支払う義務を負う 主人は奉公人の働きが悪くても労働不適格になっても 扶養する義務がある /妊娠した奉公人は解雇されないことになっていたが、 多くの事例では解雇された。四季裁判所は主人に妊娠した 奉公人を出産後1ヶ月間世話するよう命令している。/妊 娠と病気は奉公人の離脱の法的事由として十分ではなかっ た。/しばしば主人は働けない奉公人に賃金を払う義務を 感じなかった。/奉公人を看病する義務は変わらないとし ても、賃金は減らされた。 32.01, 法的には、契約は確固たる年季の形をとっていた。慣習 では、しばしばそうではなかった。/さらに定住調査の審 査の際、しばしば主人と奉公人双方の同意にもとづき契約 が取り消された。 33.01, [Lawrence Stone の示唆] 奉公は若い虞犯者を雇用主の監督下に置く政治上の機能も持つ /奉公人は特別補助金、人頭税、結婚税の対象だった。 しかし主人には税金を払う義務があり、賃金からの控除や、 不履行の場合は税金を支払ってやる傾向があった。/奉公 人は、私生児、奉公の辞退、公的秩序の由々しき侵害を除 いて法的な記録にはなかなか現われない。 [E.P.Thompson の示唆] 奉公人の秩序維持は主人によってなされた 33.02, [家父長的権威に直接捕捉されない事例] 浮浪者 「合理的な」賃金での労働への反抗 奉公の絶対的な拒絶 ※「主人のない者」と考えられた /14〜19世紀の成文法の目的は彼らの根絶である。法定 賃金と浮浪の禁止はペスト以降一般的となった。/断片的 な法規は1562〜1563年の職人規制法で収集、標準化された。 [法律を強化する制度] 教区治安官:治安判事が任命。日常的な係争を処理 主人と奉公人の義務:契約は法に則ってなされ、全ての 奉公人は主人を持つ /小治安裁判法廷(Petty Session)は後に雇用市になる。 仕事 34.01, [一般的な女性の仕事] 酪農・牛の乳搾り・小動物、特に家禽の世話 草むしり・主要な農作業の補助・エール製造・料理 [伝統的な男性の仕事] 牽引用家畜、牛、羊の世話や使役・耕作・馬車挽き・ハロー掛け ※1900年頃の南ウェールズでは、耕夫は「最も高級な仕事」だった ※若者は馬を扱える分、年老いた既婚労働者より地位が高かった [奉公人の盗みの問題] 馬の餌の足しにするため主人の貯蔵庫から穀物を盗む 仲間を満足させるため食糧を盗む 良いコートを手に入れるため主人の豚と去勢牛を盗む 35.01, 若い少年は牽引用の牛馬を任されず、代わりに半端仕事 をあてがわれた。 [ある13歳の少年の日課] 畜舎の掃除・牛の搾乳・子牛その他の給餌 蕪掘りの手伝い・犂の先導(繰返) 35.02, Fred Kitchen という奉公人の就業時間は午前5時〜午後 9時である。 35.04, [典型的なある冬の日の仕事] 奉公人と農業家は4時起床 牛に飼い葉を与え畜舎を掃除する 牛にブラシをかけ馬に馬ぐしをかける 家畜に水と餌をやる 6時に朝食 7時から2〜3時間耕作。その後昼食(正餐) 畜舎に戻り朝飯前の仕事を繰り返す 6時半に軽く夕食 8時まで靴の修理、麻打ち、リンゴを踏み潰してリンゴ酒製造、 グラウンド・モルト、脱穀、犂の刃研ぎと修理 畜舎の掃除、麦藁の搬入 ※奉公人は日々の仕事が終わった夕べ、変わった仕事を期待した ※多くの馬車挽きと耕夫はちょっとした職人仕事ができた 賃金 35.05, [賃金を規制した法律の歴史] 1349年:de Servientibus(最初の明示的規制) 1350〜1351年:Statute of Labourers(黒死病最初の年に施行) ※賃金はペスト流行以前の水準に凍結された 1388年:法律は執行不能となり、一定の賃率が公布される 1444〜1445年:古い賃率の2倍に改定される 1495年:賃率のわずかな上昇 1514〜1515年:再び上昇 1562〜1563年:賃金を規制する法律の消滅 ※賃率の設定は治安判事と四季裁判所に任される ※査定された賃金は極めて安い ※法律に従い、治安判事は毎年来期の州の賃金を決める 会合に出席する 1813年:法律の廃止 36.01, 賃金が査定された制限に従ったかどうかを知るのは容易 ではない。/16〜17世紀の賃金支払いの記録はほとんど存 在しない。 37.01, 仕事が性と年齢に伴い変化するように、賃金も変化する。 女性は組織的に男性の賃金の何割かしか受け取っていない。 16〜18世紀の四季裁判所の評価額の事例では、男性と女性 の最高賃金の比率は0.60である。 37.02, ごく若い奉公人は全く賃金を受け取らなかった。という より、彼らは1年間農業家に養ってもらうだけである。 [成人の賃金に切り替わる年齢] 男性:10〜20歳 女性:12〜16歳 ※18世紀の伝統では16歳 [賃金の平均値] 15歳以下の男性奉公人:£2.10.0 20歳以上の男性奉公人:£5.15.0 4年連続の契約の事例:£6.8.0→£6.12.0→£6.18.0→£8.2.0 賃金上昇の事例:£3.10.0(1776年)→£7.12.0(1779年) ※1768〜85年、Spalding の男性の賃金は年18%上昇した ※その一方で女性の賃金は低く抑えられ、伸びも乏しかった 38.01, 賃金は年季契約だが支払いは頻繁に行われた。通常の協 定では、奉公人が分割払いを要求でき、年季末に帳尻合わ せがされた。 38.02, 年末まで払われない賃金は強制貯蓄を意味する。おそら く奉公人側の問題は少なかった。奉公人には服と酒以外、 自分を養うための支出がなかったからである。/一部の奉 公人は明らかに主人の許を去るまで賃金を受け取っていな い。 39.01, 奉公人には、奉公を辞める準備として臨時払いの賃金を 貯蓄する機会と、すぐ使う機会の両方あった。その年の賃 金は最大の祭の直前に支払われ、貯蓄されるよりも即興的 な享楽と服飾に費やされがちだった。 39.02, [別の支払い形態] Best は奉公人に羊を飼わせる代わりに賃金から1頭当たり 8ペンス控除した 1574〜75年 Essex の18歳の少年は20シリング+2頭の羊の 放牧で雇用された 39.03, どちらの貯蓄形態も奉公人の死後調査書では稀な事例で ある。こうした調査書の多くは財布、箪笥、衣類のみを記 載し、たまに家畜が出る程度である。 食事と住居 40.01, 農業家が奉公人に与える食事とベッドは賃金の拡張形態 の1つである。 [OECDの研究] ヨーロッパの農業奉公人と農業労働者の賃金の20〜42%は 賄い・宿泊であった 40.02, 小規模な農業家の奉公人は他の家族と同じ生活水準を享 受した。彼らはしばしば同じ食卓につき、同じ部屋で眠っ た(時にはベッドで) [Robert Loder の計算] 世帯に暮らす人は1人当たり年10ポンドの費用がかかる 40.03, [農業家が奉公人を賄うメリット] 良い食事をした奉公人はよく働く ※契約の更新を勧めるのと大差ない、という算段もあった 41.02, 18世紀後半〜19世紀初頭のイングランド南部では肉を食 べるのがかなり一般的だった。 41.03, 就寝の協定は文書による証明が困難である。なぜならし ばしば奉公人は家族とともに眠り、農業家の居宅には彼ら の部屋が用意されなかったからである。 [ベッドについて(1668年)] standing bed・脚輪付きベッド 畜舎のベッド・台所のベッド 屋根裏部屋、居酒屋、中2階の小部屋のベッド /20世紀初頭の南ウェールズでは家族と奉公人の空間に 大した区別はなかった。息子と男性の奉公人は離れで一緒 に眠っていた。それでも娘と女中は一緒には眠らなかった。 41.04, New England では奉公人の男女が同じ部屋で寝ていた。 1つのベッドを2人で使うことも珍しくなかった。 [ある不幸な事件(Essex 1572年四季裁判所記録)] Parson of Alphamstone 宅には3つのベッドしかないので、 ある日奉公人 Joan Reyner は主人の息子 Symond Callye と同じベッドを使うよう命じられた。彼女の誘惑に息子の 邪な欲望が刺激され、Symond の子供ができた。Parson は 契約の残り期間彼女を置くよう命令された。 娯楽 43.01, 天気の悪い日は野良仕事が一切できないので、奉公人は 市場まで主人、女主人のお供をしたに違いない。娯楽の機 会がもっと多いのは日曜日で、仕事が減らされる日だった。 [余暇にやること] 犂耕のまっすぐさの点検・鼠や燕の狩り 母親の許へ帰る・教会で礼拝 ※聖マーチン祭に1週間の休暇を得ることもあった ※子供が親許に戻れるのは聖マーチン祭の時だけだった ※奉公人は主人を変える際、損得にかかわらず1週間何も しなかった 43.02, 主人の目と仕事を逃れる場所は畜舎と居酒屋だった。散 居形式の場合、夕食後近所の農場から奉公人が畜舎に集合 した。彼らはそこで午後9〜10時まで歌やゲームに興じた。 居酒屋は仕事を離れた娯楽の場を提供した。平凡な居酒屋 でも、若い奉公人の社会生活上重要な場所だった。/主人 の留守は例外的な機会をもたらした。1666年 Cheshire の 女性の奉公人は主人夫妻がクリスマスで出かけた際、鍵を 盗むべく戸棚を壊そうとしている。彼女は酒倉にあった強 いビールと貯蔵室にあったナッツ、リンゴ、チーズを持ち 出し燕麦と小麦のパンを作り、他の世帯の奉公人を読んで 酒盛りしたと言っている。 43.04, 奉公人の性行為にはきちんとした記録がない。 [ある女性奉公人のスイートハート] この耕夫は彼女に手伝わせて鍵を持ち出し、馬にたらふく 食わせてやった 44.02, [私生児の母親が奉公人である割合] 17世紀 Lancashire:24% 〃 Essex:61% [私生児の父親が母親と同じ家にいる割合] 17世紀 Lancashire:24% 〃 Essex:52% ※父親の半分は主人で、残りは主人の息子 44.03, 私生児の母親の約4分の1は子供の父親と婚約していた。 /妊娠はしばしば奉公からの撤退と結婚する時期を決めた。 憤慨 44.04, 奉公人と主人の互いに対する態度についての情報はほと んど存在しない。/農業の手引きと農業家の日記が主要な 情報源である。 45.01, 農業家は新作物、新技術、新型の機械に触れたページに 比べると、奉公人についてはほとんど何も書いていない。 しかし奉公人に言及する際は、ためらいもなく意見を述べ ている。 [様々な感情] 無礼で鼻持ちならず、不実でひねくれ者で、しかも田舎者 奉公人の価値に気付かなかったわけではない 奉公人の扱いづらさは感謝の念を上回る 45.04, 年期の入った奉公人への賞賛は、その人柄に対してであ って技量に対してではない。Young は見込みのある奉公人 の特徴を見分けるため人相を見ている。/Marshall の著述 を読むと、奉公人を圧迫せずに働かせること以上に偉大な 挑戦などないように思えてくる。 45.05, [若き農業家 Marshall の苦悩と挫折の伝記] 47.04, 多くの著述家が、奉公人は小農場の方がよく働くと信じ ていた。主人と奉公人がともに暮らし働くだけでなく、主 人自身、農業家になる前は奉公人だったので、判りあえる ものがあるからである。主人と奉公人の関係は必然的な敵 対関係ではない。/しかし権威の濫用は些細なものから深 刻なものまで数多かった。Suffolk の農業家は奉公人がク リスマスとイースターに3日家族の許へ戻ったことを口実 に賃金から2シリング控除した。彼女の賃金は1日当たり 3ギニー半なので、2シリングはその300%に相当する。 農業家は奉公人が現住所で我慢するのを良いことに、ひど い場合は6シリングも控除している。さらに深刻なことに、 主人は奉公人を強姦し沈黙を強制することもできた。/し かしながらこうした場合でさえ、主人は奉公人の賃金を繰 り延べたのである。
49.01, 農業奉公人の移動性は言葉的にも(移動性は接触にもとづ く当時の社会的紐帯を断ち切るものだから)、概念的にも (他にこの特徴を共有する集団がなかったから)他の全ての 者と彼らを区別している。 [奉公人の移動性についての研究の妨げ] 時間的な移動(移動の頻度) 空間的な移動(移動の距離) 身分的な移動 49.02, 変化のタイミングは、多くの地域で年季奉公契約が始ま って終わる慣習的な日付に影響された。慣習的な契約期間 の間、移動はほとんど起こらなかった。 [1年周期の移動の効果] 合法的な職探しの奉公人と浮浪者を区別する 新聞も広告もなく識字率も低い状況で労働市場を成立させる 49.03, [雇用の機会が年1回のための弊害] 50.03, 聖ミカエル祭はイングランド南部と東部の伝統的な雇用 日だった。北部ではその1ヶ月後の聖マルタン祭が普通だ った。人口動態の変化は主要な穀物の収穫後の農閑期と一 致しており、時には秋の犂耕の後に来た。牧畜に特化した 地域では、一般にメーデーだった。いくつかの地域では、 伝統的な雇用の日がなかった。 [定住調査(18世紀)] 年季の始まりと終わりの90%以上が 聖ミカエル祭・聖マルタン祭・メーデー 51.01, 契約が終わりを迎えても、大部分の奉公人は協定を更新 しなかった。 [奉公人が同一の農場に留まった年数] 1780〜1830年 Lincolcolnshire:128人の内、1年だけは68% 〃 :3年以上は16% 1780〜1830年 Berkshire:99人の内、1年だけは80% 〃 :3年以上は5% 51.02, Hertfordshire、Essex、Norfolk、Bedfordshire、 Northamptonshire、Leicestershire、Suffolk、 Lincolnshire の809件では1年だけの雇用が76%である。 52.01, [年間移動率] 年間の持続率(rp)はある年から次の年まで残った名前の 累積的比率である。年間の移動率(rm)はそこから消えた 分の比率で 1−rpである。 Nt=N。(1−rp)^t ※Nはt年後まで残っている名前の数 53.04, [奉公人の年間の移動率] Cogenhoe:0.45〜1.00 Lincolnshire:0.61 Great Amwell:0.60 Sacombe:0.58 Westmill:0.65 Tetney:0.52 Radley:0.77 54.01, [年間移動率の批判的検討] 一部の名前は奉公人が死んだり奉公を辞めたりしているので 追跡に不適 農業奉公人は18〜22歳が中心なので死亡の攪乱が少ない 奉公人の多くは奉公に複数年従事するので追跡可能 54.02, ほとんど全ての奉公人は世帯の新参者だった。 55.01, [奉公人が頻繁に移動した理由] 移動を禁止するものがなかった 契約が1年で切れた 持ち運ぶ財産がほとんどなかった 被扶養者がいなかった 農業技術の共通性が高かった [奉公人を解雇する理由] 飲酒・無能力・口の悪さ・病気・妊娠・高齢・自発的転職 実家へ戻る 55.02, [奉公人が雇用主を見限る理由] しみったれた食事・居酒屋が遠い・主人が意地悪 擬似的な近親相観の忌避・もっと良い雇用主への期待 新しい雇用主との取引で優位に立つため 社会的に責任ある地位へ上昇するため 様々な土地の農業技術を学ぶため・結婚相手を探すため 56.01, 主人は時々頻繁な変化に腹を立てた 56.03, [農業家が頻繁な変化を歓迎した理由] | 農作業は年齢的に役割分担されているが奉公人の年齢は 固定できないから | ※例えば lad(牧童?)の需要は大きかったが、年齢制限があった 56.04, 奉公人の定住を阻止することで救貧負担を減少できたから ※奉公人の定住への希望は往々にして挫かれた 56.05, 定住調査と雇用市の記録によれば、奉公人の長距離移動 は稀で、方向性と境界線を持っている。 57.01, [奉公人移動の直線距離(中位値)] Hertfordshire:4q Suffolk:5q ※多くは15q以内 57.02, [Spalding Statute Session の研究(1765〜1785年)] 全数は男性844人、女性722人 主人間移動の平均距離:男性12.32q、女性10.78q 20q以上移動:男性の18%、女性の8% 賃金£9以上の場合の平均移動距離:12.77q 賃金と20q以上移動:£9以上集団は24.2%、その他集団では16.7% 57.03, Spalding の記録の移動距離と定住調査の移動距離の相違 は調査目的に原因がある。/雇用の方法は移動の奉公と距 離に影響する。 58.01, [雇い口の探し方:Door-to-Door] イングランド南東部や Kent で一般的だった 移動方向に指向性がなく、時間浪費的な方法 [雇い口の探し方:口伝えの情報] 居酒屋の主人や地方市場から入手できた 移動範囲は情報ネットワーク内に制限される [雇い口の探し方:親族ネットワーク] 奉公人は親族を頼って居場所を見出していた 主人も奉公人の親族を通して求人していた [口伝えの情報と親族ネットワークの結合型] 例えば主人の義理の息子の所に自分の従兄弟の居場所を見つけてやる場合 59.01, Statute Session、小治安裁判、19世紀で言う雇用市はこ の3つの方法とは異なり長距離移動を促すよう企図されて いる。/集会の影響範囲が重なる場合、奉公人は年ごとに かなりの距離を動いた。地方紙は雇用市の広告を流布させ た。 59.03, Norwich mercury 紙の最初の告知は1743年である。 60.01, 集会は地域の慣習的な雇用日(とその半年後)に一致する 形で年1回、または年2回行われた。いくつかの地域では、 雇用集会は1つの場所のみで催された。他の所では、村の 近くで数週間何回か行われた。参加者の数や吸引力には大 きな相違があった。 [Spalding の春季集会(1773、1784年)] 主人の最長移動距離:22.5q 奉公人の最長移動距離:37.5q 両者の平均移動距離:9q 60.03, 集会の機能と目的は16〜19世紀に大きく変化する。初期 の段階では行政的機能が前面に出ていた。 61.02, 初期の段階では、主人と奉公人は集会前に協定を結んで いた。集会は先の協定を確証し、宣誓前に契約を記録する ものにすぎない。 61.03, Statute Session は賃金を決定する市場ではなかった。 61.04, 賃金査定の慣習が18世紀に衰退すると、雇用市を中心と した農業労働力の自由公開市場の隆盛を見る。/たとえ満 足のいく賃金が雇用市で得られなくとも、また後で近所の 雇用市があることを奉公人は知っていた。/[主人には迷惑 だった] 62.01, 奉公人は公開市場での雇用を好んだ。 62.02, 奉公人に加えて主人も、年季契約に入る前に見込みある 仕事相手の特徴を見ることができた。 62.05, 雇用市にはもう1つ大衆性がある。/多くの地域で雇用市 は収穫後最初に催されるお祭騒ぎで、奉公人にとっては主 人の世帯からの休暇に過ぎなかった。 63.01, 18世紀イングランド南部での奉公人使用の衰退は、雇用 市を純粋な祭に変えた。雇用市はこうして19〜20世紀まで 残存する。 63.02, そのようなわけで Statute Session と雇用市は主人間移 動の距離と頻度の増大に一役買っていた。 63.03, [Spalding の32件の定住調査の研究] 出生地〜最初の奉公先の平均距離:5.92q 出生地〜最後の奉公先の平均距離:6.31q ※有意な差ではない 25%が奉公後生家のある教区に戻る 50%が出生地から7q圏内で活動 64.01, 移動距離に傾向が存在しないのは、雇用集会それ自体が 移動領域を制限しているせいかもしれない。奉公人は集会 に来る主人の所までしか動けないのである。 [図4.1の解釈] 3人の移動パターンは Spalding 近辺の雇用集会と無関係ではない 年ごとにある狭い地域に戻っている ※カイ二乗検定の結果は移動領域の無作為性に反する 64.02, 公の雇用に関する18〜19世紀の不平はその無秩序さを強 調している。言い換えると、主人と奉公人の無作為の組み 合わせを保証したといえる。奉公人も主人も仕事相手につ いて同輩に尋ねたに違いない。/交友範囲は雇用市に来る 者の数より極めて小さい傾向がある。 [中国の market-defined community] 標準的な市場領域共同体は半径3.4〜6.1q 平均で8つの村落と1500の世帯が含まれる 共同体内の成人は互いに会釈する間柄 /移動性はこうした共同体に制約される傾向があるが、 それでも奉公人は地域を越えて自分の両親や友人の近くに 留まろうとしたのである。農業慣習は地勢によって異なる かもしれないし、そのためある技術の需要は雇用市の影響 範囲より狭い地域に局限されていたかもしれない。 66.01, 農業奉公人はしばしば移動したが、それほど遠くではな かった。徒弟は農業奉公人よりもさらに遠くまで移動する。 [Sheffield の徒弟の事例] 3分の2が Sheffield の34q圏内の出身 66.02, 農業奉公人は奉公を辞めると頻繁な移動も止める。/男性 も女性も、奉公を辞めた後は「あらゆる種類の手荷物がで きるので移動は至難を極める」 67.01, 農業奉公人の顕著な特徴である移動性は社会を不安定に しなかった。それでも他の一時的契約と異なり、奉公人だ けが共同体との直接的紐帯を欠いていた。/移動性は共同 体が慣習的な習慣を維持することを助けた。人々は若者が 共同体に「腰を落ち着け」新しい成員に加わる前に便利な 労働力として使うことを発見したのである。 68.01, [奉公人移動が農業技術に及ぼした影響@] 農業技術の地域格差が元来少なかった 奉公人にとって慣習的な作業ルーチンは変更できなかった 奉公人は新技術の導入に抵抗した ※整然と犂耕された農地は耕夫の地位の証だった 68.02, [奉公人移動が農業技術に及ぼした影響A] 新技術の普及を促す 解説書や道具の流布は補助的な要素にすぎない 農業奉公人・熟練農業労働者の移住は技術革新の主要経路だった ※ノーフォーク農法導入のためノーフォークの農業労働者を 招致する例も多い 69.02, [奉公人の中にも革新的な少数派と守旧的な多数派の競合 関係があった]
70.01, [表5.1の解釈] 10〜14歳では全ての子供が家に住んでいる 15〜19歳では21%まで減少、残りは奉公人 25〜29歳から所帯を持つ者が現われる 結婚する前に家を出る女性は少ない 彼女たちは非常に若くして結婚した。 [奉公人の人口動態] 15〜19歳の奉公人では女性より男性の数が多い 20〜24歳と25〜29歳の間に奉公からの撤退と世帯設立が 速やかに行なわれる 奉公人年齢の中位値:男性19〜21歳、女性19〜20歳 所帯持ちの労働者年齢の中位値:36.5歳 所帯持ちのヨーマン年齢の中位値:55歳 農村の奉公への参入 70.02, 農村の奉公人になるべく家を出る決まった年齢はない。 [慣習の変異] 1843年イングランド北部:10〜12〜14歳 Christopher Tncred:13歳 Charles Valey の貧民観察:13〜14歳 定住調査:形式平均は13〜14歳、ただし22%は15〜16歳 Ealing、Ardleigh、Corfe の一覧表:14〜15歳 71.01, 農業家は隣人の子供を自分の家に連れてきて保護する動 機によって、部分的には強制されたかもしれない。/ごく 若い青年の賃金は低かった。定住調査によると、10〜15歳 の男性奉公人の賃金は20歳以上の奉公人の半分以下である。 /ある労働者は7歳の時農業家に雇用されたが、年季の農 業奉公に入ったのは12歳の時である。 72.01, 農村の子供が奉公のため家を出る際、遠くまでは行くの は非典型的である。 73.01, 一部の奉公人は奉公人生活の途中1〜2年家に戻っている。 [Oxfordshire の奉公人 Thomas Bond の事例] 父親で農業家でもある Reuben の死去に伴い奉公を辞める 73.02, 核家族では結婚前に子供が離散する。農村の奉公は子供 たちに教育と貯蓄の場を与える。奉公には学校や徒弟奉公 同様独立の準備という側面がある。 73.02, 高結婚年齢は家を出る十分な理由だったかもしれない。 74.02, 思春期と近親相観の禁忌は究極の理由である。 74.03, 結婚前の長期の猶予は、子供の結婚前に親が死ぬ確率を 非常に高くする。 [Herve le Bras の研究] 18世紀フランスの25歳の者の34%はいずれかの親を亡くしている 同じく17%は両親を亡くしている [親の死と子供が家を出る理由] 親の死は世帯を崩壊させ、一家を離散させる 実の親の再婚は子供と継親の衝突を引き起こす ※定住調査は親の死去や再婚が奉公の契機と注記している ※親が死ぬ前に奉公に入った者もいる ※親の死の直後に奉公に参入した者はいない ※学校か奉公かで両親が争うこともあった [Fred Kitchen の事例] 11歳で孤児になるが、法的に13歳までは学校を辞められなかった 奉公に入る前の半年を日雇い労働者として過ごす /孤児の数は奉公人の数に比べて小さすぎる。子供が家 を出る一般的な理由は、子供の結婚前に両親が死んでしま う危険性のためだろう。 75.01, 子供は両親に負担をかけず、農業技術を学び、最終的な 結婚のための貯蓄をさせるため送り出されたのである。/ 農夫は誰か他人の支出で子供を養ってもらう機会を歓迎し た。なぜなら自分では子供を雇ってやれないからである。 農業奉公という「貧民の子供の避難場所」は17世紀中頃、 エンクロージャで減少した。 76.01, [貧民の子供にとっての農業奉公] 小農地や共有地を蓄積するための貯蓄をする機会 結婚後家具を買うための資金を貯える機会 両親に仕送りをする機会 熟練した日雇い労働者になるための農業技術を学ぶ機会 76.02, 農業家の子供も結婚までの間、農地を蓄積するための貯 蓄や農作業の訓練のため奉公に出た。手工業者や小売商人 の子供も奉公人になる。 76.03, 大規模農家も子供を農業奉公に出した。/奉公人は心理的 に自分の子供より訓練が楽だった。/奉公という慣習は、 農業家に労働力編成の自由を与える。 77.01, 労働者は経済的必要にも駆られていた。 [図5.3の解釈] 労働者の子供が家にいる比率は、農業家の子供より急激に減少する 77.02, Macfarlane は富裕層が貧民の子供を使うと言っている。 78.01, [教区一覧表から奉公人の出身階層を調べる方法] 前提条件:閉鎖人口モデル :奉公人の一定比率(0.75)は15〜24歳 :15〜24歳奉公人は教区人口の一定比率(0.175)を構成 :奉公人は本物の世帯と同じ職業で分類 78.02, 奉公は単純に農業家の世帯における農業プロレタリアー トの一時的拡大とは言えない。全ての奉公人が貧しい労働 者の子供というわけではないし、奉公を辞めたら労働者に なると決まっていたわけでもない。 農村の奉公からの退出 79.01, ごく少数の奉公人は未婚の奉公人として生涯を送る。/18 世紀後半の農業団体は同じ主人に長く仕えた者に賞を与え ている。/結婚後も奉公に残る者は極めて少なかった。 79.02, 奉公からの退出は、身分の変化を伴う。これは通常、奉 公人から所帯持ち(妻帯者)への変化である。 79.03, 奉公からの退出に伴う長距離移動は町や都市への移住の 結果である。/民兵は奉公人よりさらに長距離を移動する。 79.04, 定住調査から収集した奉公人の年齢は全ての奉公人を表 わしてはいない。 [表5.1の解釈] 奉公生活は中位値で6年 4分の1は少なくとも10年 11%は少なくとも14年 80.01, [男性奉公人は家父長的支配を逃れられるが、女性は一生 服従を強いられる] 80.03, 奉公を辞めた者は、小農場が稀で農村工業がない場合、 農業労働者になる。農業生活の魅力は強くないので、奉公 からの退出を延期しようという誘因が存在する。/日雇い 賃金が年季賃金の査定額より著しく高いのは、労働者が奉 公人より多く支出をするからだけでなく、季節的失業のた めでもある。 80.04, [農業労働者の身分構造] 農業家の息子>家屋管理人>普通の奉公人>労働者 ※右へ行くほど低級 ※小農場地域の奉公人は農業家になれるので、労働者は 失敗した者である。 81.01, 小農場が利用可能な地域の奉公人は、恐らく通常の奉公 期間内で地代と土地を都合するのに必要な貯蓄をすること ができた。 [Young の推計] 12エーカーの牧草地の初年度経費は£65.5.0 (内訳)地代・10分の1税・地方税:£21 道具:£10 馬1頭・牛4頭・雌豚1匹:£29 ※16エーカー(穀作地と牧草地が半分ずつ)の場合は£91 81.02, 勤勉な若者は奉公期間に1人£20〜30貯えることができ た。 [表5.3の解釈] 最低10年奉公をすれば、男女の貯蓄を結合するだけで小農地を蓄積できる。 ※しかし小規模な農業家の境遇は惨めだった 82.01, 勤勉な若者は小規模な農業家ではなく成功した小屋住農 になった。/共有地が囲い込まれていない間、これは最も 希望ある予想だったに違いない。/荒れ地が囲い込まれた 地域の奉公人は、賃労働からの恒常的な独立を期待でき ない。 82.02, [奉公から退出した者のライフコース] 農業家・小屋住農・専業の農業労働者(多数派) 徒弟奉公の開始 小売商人への転身 83.02, [定住調査は対象が貧民に片寄っている。教区一覧表も解 釈が困難] 83.04, 奉公からの退出と結婚は極めて頻繁に併発する現象であ る。 [表5.4の解釈] 元奉公人の半分以上は奉公を辞める前か直後に結婚している /結婚と奉公からの退出の一致は偶然ではない。/結婚し た奉公人は奉公を辞め別の職業を見つけなければならなか った。/妻となるべき女性の妊娠は恐らく奉公と結婚の複 合的きっかけだった。 84.01, 一部の奉公人は下宿人になった。自分の家の下宿人にな る者もあった。 84.02, 近世イングランドにおける農業奉公からの退出は、従属 的な奉公人から既婚の所帯持ちへの身分移動と、農業奉公 人から労働者または農業家への職業移動を含んでいた。奉 公は早婚の抑制というより結婚しないですむ好機だった。 /奉公は高結婚年齢と、農業家や小屋住農としての独立の 連関である。若者は農地や共有地を蓄積するための貯蓄の ため農業奉公人でいつづける。そして小農場と共有地が存 在する地域は、農業家が労働者より奉公人を選好した地域 でもある。 84.03, その連関は小農地と共有地が消滅すると弱まる。若者の 将来が賃労働者で、大規模農家が比較的少数の奉公人しか 需要しない場合、若者の貯蓄動機は乏しくなり、奉公人に なる意義も減少する。結婚の決断は住宅供給の利用可能性 と労働者になった時の見込み収入計算に依存する。 [未婚労働者の割合(18世紀後半イングランド)] 北部:全体の10分の1 南部:全体の4分の1 結尾:Joseph Mayett 85.03, [Joseph Mayett の生涯] 1783年3月 Backinghamshire の Quainton で生まれる 両親はメソジストで父親は農業労働者 86.01, [Mayett の特徴] 1795〜1802年の間に11回も移動している(長距離移動はない) 年季契約(原則的に聖ミカエル祭に雇用されている) 9歳まで家でレース作りの手伝いをしていたこと 両親との交渉が絶えなかったこと 契約も解雇も暗黙の了解事項が多いこと (本人が理解できないこともあった) 86.02, [最初の奉公] 最初の主人は父親の雇用主で飲んだくれ 酔った主人を居酒屋から家まで連れてくるのも仕事だった 主人が彼を裸にすると脅すと、彼は道具を奪って主人の頭を かち割ると脅した 主人に追い出されたものの父親に連れ戻され、年季を終える 88.02, 2〜4回目の奉公は普通で聖ミカエル祭に移動しただけ。 89.01, [5回目の奉公] 15歳の時(1798年)、父親とともに Aylesbury の雇用市に行く 人里離れた所に住む農業家に雇用される 主人夫婦は信心深かった 宗教関係の読書が認められた 89.02, [6回目の奉公] 1799年、自分で Aylesbury の雇用市に行き Wingrave の農業家に雇用される 主人はかなり変人だったので、3日で辞める [7回目の奉公] 非常に学識のある主人だった 読書を習う 14歳の弟が奉公に参入 89.03, [8回目の奉公] Oxfordshire の Bicester の雇用市まで遠征する 主人 Thomas Tompkins はローマ・カトリックの信者だった 適性がないとの理由で1ヶ月で解雇される 両親の家に戻り、救貧委員の仕事をしたり、週8ペンスの 臨時仕事をする 食糧価格が上昇し、解雇される 就職活動の結果、馬車挽きとして採用される 奉公人から労働者へ転落し、穀物価格高騰に苦しむ 91.01, [9回目の奉公] 主人とともにただれた暮らしを送る [10回目の奉公] 1801年、Waddeson Hill に移動する 主人の妻は洗礼派の信者だった 信者の女性と付き合ってトラブルを起こし、解雇される [11回目の奉公] 解雇から8週間後、5回目の奉公の時の主人の許へ行く 91.02, [12回目の奉公] 酷暑の中厳しい仕事を言い付けられ、頭に来て兵隊になると 言い出すが挫折 92.01, 1803年2月、徴兵に応じる。 92.02, [その後の Mayett] ナポレオン戦争と1812年のアイルランド戦で海を渡っている 軍隊解散後(1815年)は、馬車挽きやボロ、平ひも、レースを 売って暮らす 1816年12月 Waddeson Hill の女性と結婚し、労働者として 暮らす決意をする 92.03, ナポレオン戦争や、18世紀第2四半期の労働集約的な戦 争の時期、結婚ではなく徴兵で奉公を辞めるのは普通のこ とだったに違いない 93.01, 既に17世紀には奉公人として雇用されず「世間の世話に なる」誘惑に駆られた若者がいる。
97.01, [1450〜1900年の2つの長期波動] 15世紀:広範な奉公 17世紀中頃:奉公の後退 18世紀中頃:奉公の隆盛 18世紀後半〜:奉公の零落 97.02, 循環的動向を見るため、イングランド南部と東部で挙行 された10月(聖ミカエル祭後)の結婚の比率を測定する。/ 10月の結婚の頻度の変化は農業奉公から結婚に移った若者 の比率の変化を反映しているはずである。 97.03, [図6.1の解釈(1539〜1840年の教区資料)] 奉公の消長の前半部分を明示している 10月の結婚は、穀作地域では収穫後の結婚を意味する ※25年刻みの移動平均 ※1653年、新結婚法により全ての結婚は治安判事の前で 行なうことになり、統計上結婚数が激減 98.01, [10月の結婚を支える結婚サイクルの3要素] 人口増加・生活費・相対価格 98.02, [図6.2の解釈(1541〜1841年の資料)] 〜17世紀半ば:人口は増加、聖ミカエル祭後の結婚は減少 1656年〜:人口減少、聖ミカエル祭後の結婚は増加 1685年〜:人口は微増、聖ミカエル祭後の結婚は増加 1741年〜:人口の幾何級数的増加開始、聖ミカエル祭後の結婚は減少 99.01, 1656年以後の人口減少は原則的に出生力減退が原因で、 人口全体に占める若者の絶対数も減少した。/それゆえ若 者の大部分が農業奉公人になり奉公から結婚に入ったので、 聖ミカエル祭後の結婚の比率も増加した。 100.01, イングランドの家族構造、相続慣習、土地保有の下では、 人口増加は土地のない成人と無産労働者の増加をもたらす。 /農業人口の余剰は、既存の構造では容易には吸収されな かった。 100.02, このような状況では、農業家は雇用労働者を必要としな い。/賃金は週払いのみで、年季契約は不必要になった。 これは16世紀後半〜17世紀前半の状況で、イングランド南 部と東部では18世紀後半〜19世紀に繰り返される。 100.03, [17世紀後半の状況] London の急速な拡大 農村工業の隆盛 人口減少 101.02, 17世紀後半〜18世紀前半、農業家は労働力確保を確実に するため、年季契約で若者を拘束し農場に留め置いた。 101.03, 生活費が上昇すると人口は増大する。貨幣賃金は生活費 より安定的なので、インフレは現物給与の少ない日雇い労 働者を増加させ、農業奉公人を減少させる。 101.04, [図6.3の概略] 〜1590年代:生活費の急上昇 〜17世紀中頃:上昇の緩和から下降へ 1690年代:若干の上昇 〜18世紀中頃:特に傾向なし ナポレオン戦争:ハイパーインフレーション 103.01, 16〜17世紀中頃の最初の上昇期、農業家は雇用労働者の 賃金を下げようとした。/農業家は労働者の即用性を優先 したのである。 103.02, 1650年後の実質賃金上昇は日雇い労働者供給の信頼性を 制限し農業奉公人需要をさらに強化した。労働者の賃金の 購買力増加はより少ない日数の労働で以前と同じ量の財が 買えることを意味するのである[余暇選好性と労働市場の 後屈供給曲線]/農業奉公人の年季契約は農業家に年度内の 労働供給を保証した。 103.03, [穀物と畜産の相対価格の関連] 穀物価格:16世紀中頃まで急上昇 1630年代まで漸増 1650年代初頭まで再び急上昇、その後急降下 1740年代まで急降下、その後急上昇 ナポレオン戦争時の価格抑制 [図6.4の解釈] 18世紀まで聖ミカエル祭後の結婚の循環と対応している 農業家は穀物価格を見て穀物生産と畜産の構成比を変える 穀物生産は日雇い労働者と適合 畜産は奉公人と適合 17世紀中頃、価格比の大きな変化により畜産への移行が促進された 1740年代以降は穀物生産への移行が進行 18世紀後半には逆相関関係が崩壊 105.01, [1800年以前の奉公が循環的に変動した理由] 高生活費・利用可能な労働力の不足 ※当時の人には長期波動がよく判らなかった 105.02, [結婚の季節性のもう1つの意味(1650〜1750年)] 混合的な牧畜農業では秋に加えて春(家畜の出産期)にも 結婚数のピークがある [表6.1、図6.1の解釈] イングランド南部と東部では牧畜農業の誘因が強くても 春の結婚が生じない ※見かけと異なりジレンマではない [図6.5の解釈] 17世紀第1〜3四半期:秋の結婚に対する春の結婚の比率増加 〜17世紀第4四半期:春の結婚の減少、10月の結婚が主流 1726〜1750、1776〜1800年:10月の結婚が突出 ※農業革命とも対応? 107.01, 1650年までの10月の季節性の減少は穀作農業、および牧 畜農業で働く若い日雇い労働者の増加の結果である。 107.02, [図6.5の解釈] 穀物価格低下への伝統的反応の1つに放牧地の採用がある 放牧地が増加した地域では春の結婚も増加している 108.01, 春の結婚の増加が続くと、今度は10月の結婚も増加する。 なぜなら労働者の不足が農業家に奉公人の雇用を促すから である。17世紀第4四半期までに、小麦価格抑制への反応 は、単純に牧草地への転換というより混合農業(新農法)の 採用になっていく。/高家畜価格と労働者不足は穀物支配 的な季節性をもたらした。 108.02, 結婚数分布について、南部の穀作パターンと西部の牧畜 パターンは相関関係にある。/しかし牧畜パターンは1840 年まで継続するが穀作パターンは1675年以降復活したに すぎない。/論理的には日雇い労働に比例して奉公も増加 すると示唆される。肉牛、乳牛、羊の数が増加し、日雇 い労働がないなら他を使わざるをえないからである。 [イングランド北部と西部で奉公人雇用が存続した背景] 17世紀の農村工業の成長 18〜19世紀の工業都市、市街の成長 上記を原因とする労働者不足 110.01, 奉公と人口の関係はホメオスタシス的秩序ではないが、 不安定でもない。 [図6.7の解釈] ※奉公人が結婚の際、出生教区に戻らないと結婚年齢を特定できない ※対象教区はイングランド南部の16の農村教区 Bottesford の結婚年齢は今まで見た循環パターンに従って変化 Bottesford 以外の教区では結婚年齢が低下する一方である。 これは早期にプロレタリア化した村落について予期できる ことでもある 111.01, [結婚年齢低下の2つの作用] 嫡出児妊娠の間隔延長 妊娠可能な女性の世代間隔の縮小 /人口減少は農業奉公人の必要性を増大させ結婚年齢を 引き上げ、さらに人口増加を抑制する。この単純なモデル はなぜ人口増加が始まったり停止するのか説明していない。 112.01, [実質賃金上昇の効果(1650〜1750年)] 若者が自宅に残るのを容易にする 新たに独立した世帯を作る費用も減少させる 奉公人供給を抑制する 113.01, [実質賃金上昇の奉公人供給効果が、人口増加による日雇 い労働者供給の不安定化より重要でない理由] 実質賃金増加は全労働供給を抑制すると信じられていたから (余暇選好性) 思春期の反抗や農業技術習得への欲求は実質賃金とは関係ないから 114.03, 比較的少数の奉公人と多数の日雇い労働者のいる農業地 帯は、20歳以上の未婚の男女の比率が低い地域でもある。 [図6.9の解釈] 未婚男子比率の変化の25.6%は労働力構成の変化で説明可能 女子の場合は31.9% 114.04, [18世紀の人口増加についての死亡率減少説と出生率増加説] 出生説:結婚年齢低下による出生率増大と再生産の加速 ※Krause、Habakkuk、Wrigley、Scofield、Tucker が支持 死亡説:内生的、外生的原因による死亡率減少 ※Helleiner、Razzell、Eversley、Appleby、Philpot が支持 ※両説の複合が妥当 114.05, 1790年以降、イングランド南部と東部で急速に進んだ奉 公の衰退は人口増加に相当な効果を示した。 [人口増加傾向の地域的変化] 〜1780年:南部 < 北部・北西部 ※農村工業の有無による差 1801〜1830年:南部 > 北部・西部 ※奉公の衰退により予防的制限(高結婚年齢)が消滅した結果 116.01, [奉公の循環的性質と農業技術の変化の関係] 16〜18世紀の技術改良の多くは雇用労働需要を増大させる @直接生産(犂耕など)→資本形成(溝掘り) Aエンクロージャと垣根の設置、荒蕪地の改良、新作物、作業手順の革新 116.02, 新しい作業の多くは非継続的で、日雇い労働によく適合 した。/村落の人口集団は大規模農家と日雇い労働者に分 極化した。 117.01, [17〜18世紀に農業改良が加速した理由] 新技術の学習とそれによる成功の相乗効果 労働コスト上昇を上回る土地生産性の向上 農業家が適切にも日雇い労働者を選好したこと 117.02, 17世紀後半、農業家の居宅では奉公人に別室があてがわ れるようになった。新しい家ではしばしば奉公人と家族の 空間が区別され、台所以外共有空間はなくなった。/近代 的で秘私的な家族と、がさつで薄汚れた奉公人の間には壁 が置かれた。/殊に1815年以降、農業家は自分たちの好み を慣習に取り込んだ。 118.01, [農業家の会計記録は奉公人と労働者のコストについての 部分的な解答] 118.03, [状況変化に対する農業家の反応の緩慢さ] この緩慢さが奉公の循環性の存在を可能にした ※奉公人雇用に有利になると、農業家も若者も制度、形態、 慣習を思い出す 119.01, [奉公人制度の寛容性] 17世紀初頭、専業化により農業家と奉公人の余暇が増大した domesticity は奉公への意識を変えたが、制度はまだ変えない
120.04, [奉公消滅の前兆は1750年以前にあるが、崩壊は1815年頃 から] 120.05, 18世紀中葉、人口増加、生活費の上昇、穀物価格の高騰 によって新しい循環的下降が始まる。/奉公人を雇用する のは小規模で非能率的な農業家のみになった。/労働者の 大多数は農業家の居宅や畜舎に下宿するのが困難になった。 121.01, 新たに大規模化された農業地域は日雇い労働者の多い地 域でもある。/エンクロージャと耕地整理は奉公制度をさ らに浸蝕する。 121.04, [耕地規模の地域的特徴] 南部・東部:大規模化 北部・西部:小農場の存続 ※穀物生産と耕地整理が利益につながりにくいため 121.05, [南部と東部で1790年以降起こったこと] 人口の急増・穀物価格の天文学的上昇・救貧法 122.01, [奉公に対するインフレの最初の影響] 農業生産が毛皮(北部)、羊毛(南部)から小麦生産に転換 新農法により小麦の利潤が急増し、季節労働増加→日雇い労働化 122.02, [農業家が奉公人の生活費を意識するのは奉公人制度への大打撃] [日雇い労働者と奉公人の費用上昇(1794〜7年から1804〜13年)] 日雇い労働者:賃率は3.0%上昇 奉公人:年季賃金は1.1%のみ上昇 ※農業家は食費の大幅な変動を敬遠した ※1794〜1801年に生活費は79%上昇 122.03, ナポレオン戦争の間、小麦生産に伴う季節性と極端な低 賃金は救貧法負担の増大と結びついた。 123.01, [救貧法に対する2つの反応@] 既婚労働者による奉公人の置換。労働者が働くと、農業家は 地方税負担を少なくできる。失業した若者が教区に出て行け ば、それはよその負担になる。 123.03, [救貧法に対する2つの反応A] 地方税納付者の予防的制限。農業家と教区の民生委員は協 力して奉公人の定住を妨げた。奉公人は1年未満で解雇さ れた。/農業家は男性の奉公人を雇わない盟約を結んだ。 123.04, 定住を妨げるための労働力操作は19世紀中頃まで普及し なかった。 124.01, 奉公人制度の画期はナポレオン戦争終結(1815年) 124.02, [奉公を衰退させるもの] 17世紀後半のジョージ朝式農家には4つの部屋(奉公人用、 家族専用、妻用、子供用)があり、奉公人を排除する意志 が窺える 賄手当付賃金の普及 農場には最低限の奉公人だけ置こうとする傾向 124.03, 継続的な雇用と十分な食事への期待は、奉公人なしで行 こうとする継続的試みと賄手当付賃金の採用によって打ち 砕かれた。/1777年、Marshall の労働者はササゲを満足気 に食べている。 125.01, [奉公人制度への決定的打撃] 労働者の過剰 ナポレオン戦争終結による農業危機 /農業収入はインフレより断続的な不況に脅かされたの で、農業家は労働者を必要な時だけ雇用することで費用を 切り詰めた。 125.02, 日雇い労働者は死に物狂いになったので、農業家には信 頼可能になった。 125.03, [全雇用に占める1年未満の雇用の割合] 1741〜1750年:約1% 1801〜1810年:約11% 1811〜1820年:若干低下 1831〜1840年;約25% [51週間の雇用の割合の変化] 1811〜1820年:3%以下 1821〜1830年:約23% ※奉公人の定住阻止を目的としていた [52週間(通年)雇用の割合の変化] 1821〜1830年以前:約87% 1831〜1840年:66% 125.04, Somerset の証言者は50〜60エーカー規模の農業家がいま だに奉公人と暮らしていると軽蔑を込めて語っている。 126.01, [1831年センサスの問題点] 21歳以上の未婚の男性労働者が奉公人と分類されたり、 20歳以上の男性奉公人と全ての女性の奉公人が勘定から 除外されている点 /奉公人比率の順位と1人当たり救貧法支出の順位を州 ごとに見ると、よく一致する。労働者に比べ奉公人の少な い州は救貧法支出が高い。 [奉公人を不要にし労働者を貧窮させる循環過程] 救貧税が高い ↓ 自弁で奉公人を世話する誘因が弱まる ↓ 奉公人として雇用される若者が減少する ↓ 日雇い労働者の比率増大 ↓ 季節的循環的失業と低賃金の打撃 ↓ 救貧扶助の増加 126.02, [1834年以来の国民調査では、第3版から奉公の衰退を問 う質問がなくなる] [奉公の衰退についての救貧法以外の要因] 非自発的失業者の増加と賃金削減欲求 主人と使用人の相互不干渉 128.05, 多くの人は若者の幽閉や束縛を嫌う気紛れのせいにした。 労働者の「強情」と農業家の地位上昇が奉公を衰退させた と気付いたのは少数だった。/[食卓共同態の崩壊] 129.01, [Westmill の教区司祭 Henry Pepys の分析] 農業家は奉公の衰退を労働者の気質変化のせいにしているが、 間違っている 129.03, 農業家は奉公人と年季契約を結ばず、一緒に暮らすこと もなく、雇うことすらなくなった。仕事仲間として労働者 のことを知ろうとすることもなくなり、身分意識が強化さ れ、ますます労働者との共住を望まなくなっていった。 129.05, 農村の主人−使用人を分離した統計の出現(1831年)/農業 労働者という分類範疇は日雇い労働者と農業奉公人の両方 を含んでいる。/1830年までに、イングランド南部と東部 では、奉公人は単なる若年労働者になっていた。 130.01, [1851年センサス] 農業奉公人と農業労働者を分けた最後のセンサス 農業奉公がイングランド北部に残存していることを示す ※農業奉公が小農場、荒蕪地、手工業に適合的なため [図7.3の解釈] 農場規模と奉公人雇用の関係を示す 農業以外の就業機会は労働者不足を生じさせるので奉公人需要を増大させる ※例えば鉱山、織物工場、鉄工所など /イングランド南部と北部の賃金格差の継続は就業機械 の相違と地域間移動の少なさを反映しており、北部の農業 家に奉公人への現物給与を増やすよう促した。 ※人口稀薄地域での奉公人残存傾向 130.02, [19世紀イングランドの2分類] 南部:奉公が少なく農業的 北部・西部:奉公が盛んで工業的 [農業奉公人の密度] 調査対象は277887人 74%が Dorset、Wiltshire、Oxfordshire、Northamptonshire、 Cambridgeshire、Norfolk 在住 残り26%はイングランド全土に分散 131.01, [男性の奉公人と労働者の比率] 1871年頃 Suffolk ── 1:194.5 Essex ── 1:440 ※1851〜71年、北部では穀物法廃止により畜産価格に 優位が生じ奉公人増加 ※南部、東部では奉公人制度の復活はなかった 133.03, 農業奉公人の年齢の中位値は、奉公人制度の消長とは無 関係に平均19.8歳あたりで変化していた。/これに対し、 労働者の年齢の中位値は制度の変化とよく対応している。 134.01, [農業機械と教育が奉公人制度に影響を及ぼすのは20世紀 から]
148.01, 極端な労働力不足の時には、奉公人が辞めた後簡単に後 がまが見つかる保証はなかった。雇主はよそ者の雇用に慎 重だった(信用できるか? 別の雇主の許に逃げないか?) /職人法は初期の1解決策である。奉公人は教区を去る 際、推薦状の携行が要求された。これは教区治安官の捺印 と教区牧師による登録が必要だった。推薦状は奉公人が最 後の雇主の許を去る許可を得ておりよそで自由に奉公でき る旨記載してある。/1388年労働者法は単純に、奉公人が 自分の住んでいる教区を去ることを禁じた。/1444〜45年、 法律が改定され、雇い先を去る前に、次の雇主と新しい捺 印証書を1通作って辞職の警告をすること、もし両方の条 件が満たされなければ、捺印証書は無効を宣言され、奉公 人は元の雇主の許にもう1年いなければならなかった。 1549〜50年、雇主に辞職を警告する時間が最低3ヶ月に設 定された。 148.02, 労働者法への不満は、捺印証書の慣習が一般的ではなか ったこと、従って法律が役立たずなことからもたらされた。 /捺印証書を作成する官吏もいなかった。 149.01, 定住法は貧困調査を目的としているので、奉公人の移動 性の検証を曲解させる。/1662年定住法は40日の居住で定 住権を獲得できたが、1691年に改訂され、期間が1年に延 ばされ、旧い定住権は帳消しされるようになった。
166.01, 労働者法(1350〜51年)は、拘束の有無を問わず、手工業、 商業に従事しておらず、土地を所有せず、奉公人ではない 60歳未満の全ての有能体男女に農村での奉公を義務づけた。 166.02, [強制奉公の2つの側面] 小屋住農を通年雇用労働者として安定供給する ※当時小屋住農は入会権で地位を守られていた 賃金協定で定められた賃金での労働を強制する ※賃金統制それ自体が強制力を持つ 166.03, 16〜17世紀以来、この法律の強制については多くの事例 がある。 166.04, 農村での強制徒弟奉公は意図において強制奉公と異なる。 前者は職人法ではなく、貧民救済に関する法に根差してい る。1572年、法律によって教区が乞食の子供を農業家その 他に供給することになった。 [年齢範囲の変化] 当初5〜14歳の子供は男性24歳、女性18歳まで強制徒弟に出された 1597〜98年、女性の上限が21歳に上昇 1777年、男性の上限が21歳に低下 1802年、教区救済の監督官は教区徒弟登録を保管するよう命ぜられている 1814年、男女とも下限が9歳に上昇 /法律が効力を保っている間、農業家その他は教区が命 じた場合教区徒弟の受け入れを強要された。1844年、強制 徒弟は廃止される。四季裁判集会によって法律の意義が縮 小したのである。
168.01, 奉公の起源については推測しかできない。 168.02, 奉公人制度は中世イングランドにも存在していた。しか し近世イングランドほど支配的ではなかった。 [近世になって奉公人制度が支配的になった理由――1] ペストによる人口急減と荒蕪地の増加 土地荒廃が人口減少の枠内で収まったかどうかは不明 [理由――2] 領主が労働者不足に牧畜で対抗したため 肉と酪農生産物の需要は穀物より所得弾力性が大と仮定 借地農の強制賦役と低賃金の強制労働で運営される [理由――3] 小農保有地の規模が家族労働力の範囲以上に拡大した 168.03, 核家族または血縁家族は青年を「金を払って他人に預け る」ように思われる。核家族または血縁家族、および家族 の小保有地を仮定するなら、これは家族の発展サイクルに 対する1つの解決策である。 169.01, 奉公は奴隷、労働賦役、famulus から発展したものでは ない。/同様に、日雇い労働は農業奉公から発展したもの ではない。/一方、Northumberland の小屋住農は中世イン グランドの famuli の生き残りである。