1999年10月

たっくんの病気がわかった日
at 1999 10/01 01:38
時々、たっくんの病気の事について書いていこうかなと思ってます。
いろいろ入り交じっちゃって、読みにくいかもしれませんが、
読んで下されば、嬉しいです。

私の初めての赤ちゃん、たっくんの1ヶ月健診の時の事です。
初めてのお出かけらしいお出かけでした。産院では私とたっくんは
別々になった。
「たっくんは何をしているんだろう」と、ちょっと不安に感じながらの
産婦健診を受けていた私に、思いがけない言葉が先生の口から
飛び出した。

私はあの診察台の上にあおむけになって、まだ診察を受けている
途中だった。
「言ってなかったっけ?心臓に雑音があるんですよ」
何を言ってるの?頭がまっしろになって、わけがわからなくなった。
診察が終わって「小児科でちゃんと診てもらって」と言われたけど、
何て返事をしたか覚えていない。返事なんかしなかったのかもしれない。

ついてきた夫にどこでそれを報告したのかも、覚えていない。
その日の事はあまり記憶がないんだよね。

産院からの帰り道だったか、一度家に帰ってからだったか、
前から約束していたので友達の家に寄った。
新潟に越した別の友達一家が、お正月休みでこっちに遊びに
来ていたから。
へんな気持ちで雑音の話をしたら、みんなが
「わりとよくあるみたいだから大丈夫だよ」と言ってくれた。
なんか現実感のないまま、しばらくそこで過ごしました。
でも、あとになって考えるとそんな事してる場合じゃないよね。
私も夫もまともな状態じゃなかったのかな。

次の日、朝1番で小児科へ行った。今ではかかりつけとなっている、
その先生は、聴診器をあてた後、心臓の模型を出して説明し始めたけど、すぐには頭に入らない。
待合室の夫を呼びに行って、今度は2人で先生の話を聞いた。

「心臓病でしょう。心房か心室の壁に孔が開いていると思う。
たぶん、心室の方じゃないかな」
心臓に4つの部屋があるなんて、この時初めて知りました。
そんな私たちだから、先生の話もピンとはこなかったけど。
夫は心臓が冷たくなったと言っていた。
私は絶対治してやるって思ってた。新米でも母は強しって事なのかな?

個人病院なので、検査設備もないからと先生はすぐ大学病院へ紹介状を
書いてくれた。手術が必要な場合を考えると、最初から最高の病院へ
行った方がいいからって、話してくれました。
この時も人から見たら、頼りなさそうにボーッとしていたんだろうな。

翌日、新宿にあるその大学病院へ行った。
大学病院なんて行った事もなくて、受付をすませるだけでも一苦労だった。
混み合う待合室で、1ヶ月になったばかりのたっくんが、
そこにいる事だけでも可哀想でしようがなかった。

最初に心電図とレントゲンの検査。心電図の時は手足を押さえさせられた。
たっくんの体にシールみたいなものが、ペタペタと貼られていく。
でも、すぐにとれちゃって、なかなか心電図がとれなくて、
たっくんは泣き出した。
ごめんねって心の中で言いながら、たっくんが動かないように、もっと強く
手を押さえた。

とても長く感じた心電図の検査が終わって、すぐにレントゲン室に呼ばれる。
レントゲンの時、やはり動かないようにと頭と手足は固定され、
体にはネットがしっかりとかけられた。
今度はたっくんは全然泣かない。検査技師は「いい子だね〜」と驚きながら
ほめていたけど、私は泣かないたっくんがすごくすごく悲しかった。

私たちの気持ちとは関係なく、ここに行って、次はそこに行ってと
どんどん指示される。すごく集中して聞かないと、なかなか理解できない。
そして、やっと診察窓口へ。

診察室の窓口で何度も何度も、「まだ生まれたばかりの赤ちゃんなんです。
早く診てもらえませんか」と頼みに行った。

診察室に入って座ると、すぐに「重い病気ですよ」と言われた。
まさに、頭を殴られた。それもいきなり。なぜ?どうして?
たっくんはどうなるの?
エコーをとるから、予約するよう言われた。

それより病気の事を、必死であれこれ質問する私たちに、
先生はただ「エコーをとらないとわからない」の一点張り。
いくら聞いても、返ってくるのはその言葉。
病名はその時に聞いたのか、エコーの結果が出た時に聞いたのか、
これも覚えていない。

しかたなく、あきらめてエコーの予約を取りに検査受付へ行った。
予定表をパラパラとめくりながら、技師の口から出た日付に驚いた。
1ヶ月以上先だって?その間に何かあったら、どうするんだよ!と
もう必死だった。もっと早くできませんかと、しつこくしつこくせがんだ。
よほど迫力があったのか、なぜか半月ほど先の予約がとれた。

何がなんだかわからないまま過ぎた、でもけして忘れないだろう3日間が
こうして終わった。

長くなっちゃった。最後まで読んでくれてありがとう。
夫について
at 1999 10/02 00:38
私の夫のミベルは中学の同級生なの。
昔、同級生同士が結婚したなんて聞くと、
「よくそんな恥ずかしい事ができるもんだ」と思ったけど、まさか自分が
そんなハメになるとはね・・・。

実は彼とは中学時代に2度つき合った事がある。短い期間だったけどね。
でも、卒業して少しすると顔を合わせる事もなく、もうすっかり遠い人だった。

でも!20代の半ばを過ぎた頃に、中学校のクラス会をする事になってさ。
これは3年生の時のクラス会だったんだけど、私たちは3年間同じクラスだった。
この時に気づいた。
いつのにか私は幹事になってて、彼も4人いる幹事のうちの1人だった。

で、4人で何度か集まるうちに、何となく恋が始まったってカンジかな。
(ひゃー、恥ずかしい!)
でもね、夫の方が先に私に惚れたと確信している。

しばらくして、TDLに2人で行ったのがつき合うきっかけだったかな。
それからは山あり、谷あり、落とし穴あり。ケンカもすごくしたし、
別れた事も3度ほどある。1年位の空白もあるし。
長くつきあったもんだと自分でも思う。

たまに結婚の話も出たけど、仕事は楽しいし、遊びはやめられないし、
それに夫は長男だしで、具体的にはならなかったな。
だって、昔からの地元の人でまわりの家もそう。
そんな家の長男の嫁なんて、考えるまでもなく、イヤだった。

なのに、不思議なものでいつの間にか結婚して、その上同居までしている。
これはこれで又、数々の闘争があるのだが、これは別の機会に。

夫は堅実で優しい、常識人。昔かたぎ。
美点と言えるけど、すっごくイライラする事も多いんだよね〜。
融通や応用が利かなかったり、すぐ義父母をかばったりする。
そして、私の怒りに油を注ぐのである。

でも、彼だからこんな私でもここまで無事に?結婚生活が送れたのかもと
思う時もありますー。

なんか、夫自身の事はあまり書かなかったみたいだね〜。失敗〜。     
運動会には行ったけど・・・。
at 1999 10/03 02:08
たっくんと私は火曜日の午前中は、だいたい近くの保育園の園庭解放に
出かける。みんな好き勝手に楽しそうに遊んでいる。
実はこの保育園には、私の夫が通っていた。
私立の小さな保育園なので、園長先生も夫の事を覚えていてくれて、
何だか嬉しかったりして。

あ、また話がすぐそれる。
今日はこの保育園の運動会だった。
園児じゃなくても参加できる種目がちゃんとある。ダンスです。
そのダンスをやるあたりを狙って行った。だってたっくんがおとなしく
見学するはずはないし、暑いから長時間日陰の少ない園庭に
いるのもイヤだしね。

ところが、前日の夜更かしがたたって寝坊した上に、出かける間際に
電話が重なったりして、予定より遅くなっちゃった。
着いたと同時にダンスが終わった。
少しショック。たっくんの可愛いダンスが見られない〜。

すると、「おみやげがありますから、並んで下さいね〜」という天の声が・・・。
さっさと、ショックから立ち直った私は、たっくんを脇に抱えて
おみやげの列へダッシュ!
もう列には3人位しか残ってなかった。ふー、間に合ったぜ!と
ありがたく戴いた。

これじゃまるでおみやげ泥棒だよ。おみやげの中身は、
クレヨンとノートとジュースとお菓子。
去年は小さなボールだけだったから、すごく得した気分になっちゃった。

しばらく遊んで帰ろうとしたら、出口の傍には園長先生がいた。
挨拶して帰ろうとする私に、先生が「お待たせしちゃってごめんなさい」と
頭を下げた。
!!!違うんです!一生懸命ダンスしてビリに並んだわけじゃないんです!
あの時、まさに到着してチャッカリ並んだだけなんです〜!
本当はおみやげもらう資格なんかないんです〜!とも言えずに帰る
泥棒おやこ2人組。

来年は寝坊しないぞと誓う私でした。
股間の「ボ」
at 1999 10/06 00:51
たっくんはボールの事を「ボ」と言います。
私がうっかりしていて、オムツを替え忘れていると、オムツはたっぷりの
おしっこで膨れてしまいます。すると、そのオムツの膨らんだ部分を
わしづかみにして、「ボ、ボ」と嬉しそうに笑っています。

そう、「ボクのオムツ、おしっこでいっぱいになっちゃって、ここが
ボールみたぁい」と申しているというワケです。

ところが!今日、台所にいる私のところへたっくんが「ボ、ボ」と言いながら
やってきました。私はたっくんの方も見ずに(ヒドイ)
「そっかー、シーシーいっぱい出たんだぁ。ボになっちゃったんだぁ」と
答えました。
たっくんはしつこく「ボ、ボ」と言いながら、私のスカートを引っ張ってる。
「なぁに〜」と振り返った私の目に飛び込んできたのは・・・・。
下半身丸出しの我が息子の姿!(@_@)

ひ、ひょえ〜!何事ぉぉぉ〜???
そうです。「ボ」になってもオムツも取り替えてもらえないたっくんは、
自分でオムツを脱いで「ボ」になってしまった、そのオムツを私に
届けてくれたんです〜。
親バカモード全開になった私はたっくんを褒めて褒めて褒めまくり、
抱っことチューをしながら感動していました。(/_;)

<たっくんのつぶやき>
いいから、早くオムツはかせて!
新たなる展開
at 1999 10/06 23:19
昨日、たっくんの「ボ」についてお話ししたけど、1夜明けた今朝の
出来事です。

ごはんがすんで、私は歯磨きと洗いそこなった顔を洗ったりしていた。
たっくんは教育テレビを見ていたので、好都合とばかりに自慢の顔を
せっせと洗っていた。すると、テレビに夢中のはずのたっくんが
そばに来ている。

「待ってて〜」とさわやかに洗い終わった私が、愛息子の方を見ると・・・。
またかい!下半身丸出しで、にこやかにたたずんでいる。
「あれ〜、もうボになっちゃったの〜。さっき替えた・・の・・に????!!」

しまった!!たっくんは朝食後、即座にウンチをする子供だ。
と、言う事は・・・やっばーい!私は慌ててオムツを探しに行った。
ズボンごと脱ぎ捨ててある。どうかズボンに被害が及んでいませんように。
ふー、助かった。美しく脱いでいたから、ウンチは礼儀正しくオムツの中に
いてくれた。

あ、たっくんは?ゲッ、壁によりかかってる。そこは拭くトコじゃないだろー。(-_-;)
でも、大した被害もなく、やっと新しいオムツの登場となった。
たっくん、ウンチのオムツにようやく不快をおぼえてくれたのね。
思えば、新生児の頃からウンチごときで泣く子ではなかった。

それにしても、たった1晩で素晴らしい成長ぶりだー。
今、英語や音楽やらを習わせたら、恐るべき天才になるかもと
母の妄想はとどまる事を知らない・・・。

でも、夕ご飯の後はたっぷりのウンチを隠し持ったまま、
ゴキゲンで遊んでいた。
アインシュタインもモーツァルトもさようならぁぁぁ〜。
病院にて
at 1999 10/07 12:39
6日はたっくんの月1の診察の日でした。
今回は夫の仕事の都合がどうしてもつかなくて、同行してもらえない。
たっくんはまだ電車に乗った事がない。「どうすんのよ〜」と言うと、
「とーちゃんに頼む」と夫。つまり、舅をアッシーにして行きたまえと
言うことだ。

病院までは渋滞してなければだいたい1時間半位。
そして、たっくんは車に乗るとすぐに寝てしまう。病院にいる間はいいけど、
3時間近く車内で2人きりなの〜?イヤってわけじゃないけど、
どうやって過ごせばいいのだ?そんなに語り合う事柄もないし、
無言というワケにもいかないし。

でも、そんな心配はあっさり消えた。姑も同行すると言う。この夫婦は
仲がよいから、2人で楽しく話してるからほっとける。
つい前置きが長くなるなぁ〜。

たっくんの診察。いつものようににこやかに聴診器を1秒ほどあてる。
終わった。あとはこちらが聞きたい事があれば質問したりする。
月に1度しかない機会だから、何か聞いとこうと苦し紛れの
どうでもいいような質問をする事も多い。

最近は最後にはいつも手術はいつ〜で締める。
でも、今回は心配な事があった。
時々たっくんは目の下にクマを作っているという事。
先生は「心臓病でクマが出る事は確かにあるけど、この子はそんなに重い病気じゃないしね。でも、来月心電図とレントゲンをとって」と言った。

まさかまた悪くなってるのかなぁ。これは是非とも11月の手術予定に
入れたのかを確認しなくては!予定に入ってたらあと2、3日すれば
通知が送られてくるのはわかってるけど、私はそれさえ待てない
こらえ性のない女だ。

入退院係の窓口に今月も行ってしまった。私が口を開く前に、
係のお姉さんにすまなそうに「たっくん、11月には入ってないんですよ」と
先制された。ゲゲッ、顔を覚えられていたとは不覚だった。
そんなにしつこかったのかなぁ。それにしても、ついグチが出ちゃう。

「急ぐって言われてからもう半年ですよー」
緊急や重い病気の子供達はたくさんいるのだ。そのお姉さんの
せいでもない。わかっているけど、たっくんの事が心配でたまらないのよ。

前科もあるので、誕生日に入院してお正月を病院で迎えるという事に
なるかもね〜と夫と話した。いったいいつになるのやら。
出産その1
at 1999 10/09 15:17
たっくんの出産予定日は平成9年12月28日でした。
臨月に入ってすぐの36週目、健診に行った。
まだ、2週間は生まれないねと先生から言われて、
その週末の、友人の結婚式は予定通り行けるなと、産院の帰りに買い物に行った。
そして家に帰り、横になってテレビを見ていた。
午後2時近かったかな、そろそろ夕飯の買い物にでもと起き上がったときに、
へんな感覚が。「え?何?おもらし?え〜??もしかして、は、破水〜?!」
電話を持ってあわててトイレへ。

最初に夫に電話。「生まれるかも〜」幸い、近くにいてすぐ帰ると言う。
次に病院へ電話。助産婦さんが出て、本当に破水なのかいろいろ
聞かれる。
破水しても大丈夫だから、慌てないでと言われる。それは無理な話だ。
私は早く病院に行きたいのに、のんきな助産婦さんの話は続く。
ようやく「じゃあ気をつけてくるように」という事になって電話を切る。

同時に夫が帰ってきた。私以上に慌てふためいている。
おかげで私は少し落ち着けた。用意してあった荷物を持って2人で病院へ
向かった。
途中の車の中でも、彼は他の車や電車に毒づきながら運転していた。

私は携帯で、友人に結婚式に行けなくなるであろう事を連絡した。
空席ができると申し訳ないし、お料理だってムダになる。
我ながらよく気がついたと思ったが、夫にはそんな場合じゃないだろ〜と
怒られた。ふだんは近い病院がいやに遠く感じたけど、ようやく着いた。

すぐ診察して、入院になった。
でも、子宮口は閉じてるし、赤ちゃんも全然降りてきていないらしい。
とりあえず?剃毛と浣腸をされてしまった。

生まれて初めての剃毛というのに、私は若い助産婦さんの教材と
なってしまった。
年輩の助産婦さんは私にも説明し、若い助産婦さんにも説明しながら
手際よく処置していく。おいおい、女同士とはいえ少しは私の身にも
なってくれよ〜とも思ったけど。

そして、メトロというゴム風船のようなモノを入れると言う。
羊水が出てしまうのを止め、子宮口が開くようにという事らしい。
これがけっこう痛かった。

夫は水分を取れとポカリやみかんを強要したけど、
全く何の意味もない事があとで判明。私の母も駆けつけたが、様子を見て
まだまだだと笑っていた。
そうなの〜?自分ではだんだん痛みが始まっている気がしていたのに。

結局、その日は生まれる気配もなく夜になった。夫は泊まって
付き添ってくれた。本当はいけないみたいだったけど。
心臓病の子供を守る会
at 1999 10/11 15:37
私は「全国心臓病の子供を守る会」という会に入っています。

たっくんの病気の事で毎日不安な気持ちでずっと過ごしていました。
先生といくら話しても、ちっとも不安は消えなかった。
それは親として、病気の事や病院の事や、いろんな知識が私に
ないからじゃないかと思った。これに気がつくまで9ヶ月近くかかった、
何ともトロイ母親です。

たっくんが5ヶ月の時に入院して、回りのお母さん達が医療の事にも
すごく詳しいのにびっくりしました。それで教えてもらったのが
「心臓病児の幸せの為に」という本だった。
親御さん達の集まりである「守る会」によって書かれた本で、病気の事や
福祉制度についてわかりやすく書かれていた。
この本には今でもとても助けられている。

「守る会」の存在は知ったけど、なかなか入会する気にはなれなかった。
何となく堅苦しくて、暗くて、後ろ向きなイメージだったから。
全然違う事が今ではわかってるから、こんな失礼な事も言えるけど。

でも、たっくんの手術が中止になったり、その原因の肝機能があまり
よくないままだったり、ということなどもあって、とにかく情報が欲しくて
たまらなくなった。そしてこの会に入る事を決めました。
他の親御さんの生の声が聞けたり、たくさんの情報をいただけた。

会報があるんだけど、顔も知らない親御さんやお子さんに何度励まされたかわからない。いつもこの会報を読む時は泣いてばかりいる。
と書いているだけでもまた泣いている。そして、近くで会って話せるお友達もできた。もちろん電話やメールでというお友達も。

特別な話をするわけじゃないけど、ただそういう人に巡り会えただけで
幸せだと思ってる。もちろん、これを読んでくれている皆さんも。
こういう大切な宝物を得られたのは、たっくんが心臓病だったからだ。

たっくんが病気を持って、私を母親として選んでくれたから、
私はたくさんの出会いと幸せに恵まれたと心から思う。
たっくんに教えられた事も本当にたくさんある。そういう私にできる事って
何だろうとよく考える。

実は、10日にこの「守る会」の全国総会というのが厚木であったのね。
それに出席した話を書こうと思ったのに、また方向がそれてしまった・・・。
どうしていつもこうなるんだか。心臓病に限らず、悩み苦しむ人同士でも
同じ立場じゃなくても、支え合っていけるといいよね。

大きく見たら、みんな同じ地球に暮らす同じ人間だモンね。
私のこんなささやかなHPに来てくれる皆さんの中にも、
病気や障害を持つお子さんのお母さん、健康なお子さんのお母さん、
まだ未婚の方、いろいろいらっしゃるけど、この小さなHPがそんな皆さんをつなぐ、1つの場になれたらと夢見ていたりします。
出産その2
at 1999 10/13 15:09
私は4人部屋に入院していた。本当は面会時間が過ぎたら
家族も帰らなくちゃいけないみたいだったけど、私は夫を帰さなかった。
心細くて1人で朝までいられない気持ちだった。立ち会いもして
ほしかったし。

空いてるベッドがあったので、そこを使ってもいいという事になった。
これで何があっても安心だと思った。夜中にこれこそ陣痛かという痛みが
何度もあって、なかなか眠れなかった。腰が痛くてたまらない。
そっと夫に声をかけると・・・。
私の頼りとする夫は高イビキで爆睡してやがる。

いくら呼んでも起きる気配すらない。何の為に泊まり込んだんだ、
バカヤロー!
痛くて思うように動けない私は、近くにあったペットボトルを投げつけた。
憎たらしいほど、ボーッとしている夫に「帰れ〜〜〜!!」と怒鳴った。
何が何だかわからない夫の様子が、更に私の怒りをあおる。
ひたすら腰をさすってもらい、私はまたかよわい妊婦に戻った。

夜中も痛くて、何度か看護婦さんや助産婦さんを呼んでしまった。
私の気持ちとはうらはらに、子宮口は一向に開かないらしい。
明け方にはメトロもずれてしまったらしく、取ってもらった。
廊下で先生と夫が話しているのが聞こえる。
「年齢的にも、子宮口が固いのかもしれないし、帝王切開も
覚悟してて下さい」

ふん、固くて悪かったね。朝、母が来て交代で夫が一時帰宅してしまう。
どんどん痛みは強くなってくる。うろ覚えの呼吸で痛みを逃がそうとは
してみるけど、大した効果はない。母も私の様子を見て、まだまだと
笑っている。見舞いに来た妹も笑っている。
こんなに痛いのに、それぞれ3人の子持ちである、私の身内が
笑っているのが恐ろしかった。

もう呼吸なんかじゃ、どうにもならなくなってきた。
そうだ、痛けりゃ痛いと声を出せば、少しはラクかもしれない。
我慢するのをやめた私は、個室に移されてしまった。
今までは、多少人の迷惑も考えてたけど、これで思う存分騒げると
いうものだ。

個室に移る少し前、私の様子を見に来た看護婦さんが、おなかをさわって
驚いている。まずい、赤ちゃん大丈夫なんだろうか?心配する私に
看護婦さんが言った。
「あららぁ〜、こんなにおしっこが溜まって。大丈夫?今、導尿するからね」

へ、どういう事?導尿って痛いの?ビビる私におかまいなく、
さっさと事は運ぶ。
また看護婦さんの大声、「うわー、こんなに溜まってたの。
大きい入れ物じゃなかったらおかわりしなくちゃいけなかったよ」
もう勝手にして。

どうやら、私は尿意も感じなくなっていたみたいだ。
2日目も、痛みに騒ぐ私の子宮口は、なかなか開かずに夜になった。
風邪だぁ〜
at 1999 10/14 16:14
丈夫がとりえの私、久しぶりにかぜなんかひいてしまった。
悪いことにたっくんにうつっちゃった。
たっくんもちゃんと?風邪をひいたのは1年ぶりだ。

実は昨日の夜中、「出産その3」を書いてると、たっくんが泣き出した。
へんな夢でもみたのかと、たっくんを抱くといやな感じの咳をする。
喘息に少し似てる。かなりひどい。しばらく抱っこして、お茶をあげたりして
様子を見ていたけど、これは場合によっては救急で診てもらった方が
いいかもと思った。

夫は、自宅1階の事務所で仕事をしていたので、呼びに行った。
一応電話で、救急診療している病院の確認をしておいて、
様子をみる事にした。
熱はないけど、こんな咳は初めてなので心配。
気管支炎や肺炎になりかけなのかと、冷や汗ものだった。

12時半頃から咳をしたり、泣いたり、たまにうとうとしたりが3時近くまで
続いた。咳のせいか1度吐いてしまう。だんだん熱も出てきて39度前後。
おでこと脇の下にヒエヒエを貼る。お茶やイオン飲料をちびちび飲ませる。
つらそうだけど、ぐったりというのでもないし、こんな時間に
30分車に乗せて病院へ行くのも、逆に負担になるかなと思って、
朝1で、かかりつけの小児科へ行く事にした。

抱っこしているうちにようやく眠り出した。
顔色も悪くないし、熱も39度から上がらないので私も寝た。
朝、入院なんて事にならないようにと思いながら、たっくんの大好きな
おにぎりを食べさせてから、病院へ行った。

幸い、空いていてすぐに診てもらえた。ついでに私も診てもらっちゃった。
私ののどの方がひどいらしい。でも、私はのどより鼻水の方がツライ。
たっくんと順番に、吸入して薬をもらって帰る。
食欲はまああるので良かったけど、最近では珍しく午前中から眠った。
やっぱりしんどいんだね。私も一緒に寝てしまった。

お昼に夫がごはんを食べに戻ってきて、たっくんの事を聞かれた。
寝ぼけながら簡単に説明して、私はまた寝てしまったらしい。
ごはんはどうしたのであろう。
おかげで、2時半まで2人で仲良く眠らせていただきました。
まだたっくんの様子は変わりないけど、皆さんもくれぐれもご注意下さい。
全国総会のシンポジウム
at 1999 10/17 23:17
10月10日に「心臓病の子供を守る会」の全国総会が厚木で
開催されました。夫の仕事の都合でかなり遅刻してしまい、
1番聞きたかった、外科手術の講演は聞けませんでした。

聞いたのは、心臓病児自身の結婚や妊娠の事、周産期医療の事、
医療相談室の役割の3つでした。
自分の事と重なる為、次の妊娠についての講演が印象に残りました。
神奈川県立こども医療センターでは、周産期医療部が併設されて
いるそうです。

心臓病の患者自身が妊娠した場合、今までの主治医の循環器科医、
産科主治医、母性内科医の協力の上で、安全な出産を目指すそうです。
これに関する問題として、特に女の子の病児を持つ親は、本人の体と性について、話し合いを積極的に持つべき、という話がありました。

また病児を持つ妊婦についても、産科医、新生児循環器科医が定期的に
胎児の診察をするそうです。万一、胎児に異常が見つかった場合は、
産科を中心に新生児科、循環器科、外科、脳外科、泌尿器科などが
協力し、精度の高い胎児診断が行われ、それと共に保健婦、
ソーシャルワーカーが妊婦をサポートし、母性病棟の看護婦も、
精神的にも支えられるような、看護をすると言うことです。

新生児科、循環器科、赤ちゃんの受け持ち予定の看護婦なども協力して、妊婦の不安に対応するそうです。分娩時については出生直後から、
必要な医療がスムーズに行われるように、予め打ち合わせや準備が
されるそうです。

出生後も母子がなるべく一緒にいられるよう、配慮されるという話でした。
1つの病院で親子ともども、長くおつきあいをしていくという姿勢の
ようでした。
この講演をなさったのは、まだ若い新生児科の先生で、
とても熱く語っていました。
胎児診断についても、様々な声があるでしょうが、産んでからより適切、
迅速な対応をするためのものと、捉えてもらいたいという事でした。

私は母性内科というのがどんなものなのか、とても知りたく思いました。
パーツに分けて診るのではなく、1人の人間の心身の変化というふうに
捉えていくと、病院は多彩、柔軟な機能や体制を整えてもらえるといいなと、素人の私は思ったのですが・・・。
理想とする姿は高い方がいいと、勝手に考えてます。

短い時間でもあり、会場の保育室に預けているたっくんの事が気になり、
様子を見に行ったりとしっかり聞けたとは言えないけど、良い経験を
させてもらったと思っています。そうそう、300人以上の参加があって
1番盛大かもしれないと聞きました。
また、総会の終わったあと、講演した先生達による個別相談も
やっていました。

たっくんが風邪で私にベッタリちゃんになってて、半日以上かかって
書きましたから、おかしな部分があるかもしれないけど、お許しを〜。
たっくんは昼寝もろくにしないし、夜も何度も泣いてしまう。
熱と咳で眠れないみたい。明日も小児科に行ってこようっと。
ちょっと心配・・・。
at 1999 10/19 00:25
たっくんの熱がなかなか下がらない。38度から下にはならないまま、
もう5日。
さすがに心配になってきたから、午前中に小児科に行ったのね。

少し薬が変わって吸入してきたんだけど、夕方すぎてから目に力がなくて
ボーッとしてた。今日は食欲もないし、オムツ替えの時に
「チンチン、イデー」と泣き出すし、救急で隣の市の総合病院へ8時半頃
行って来ました。
でも、着く頃にはたっくんの顔が全然違っちゃってさ。
お話もできるようになって、具合が悪そうではあるけどまあ元気が
戻って来た。

診察の結果は、明日になっても熱が下がってなかったら、
入院の用意をして診察、検査をする事になりました。

心臓への負担を考えると、家でこのまま長引かせるよりは、
入院してしまった方がいいかなと思って。
入院するのはイヤだけど、しようがない。検査の結果次第かなぁ。
ここの病院は一般の病室は付き添いだから、夜になっても日記かBBSに
私のカキコがなかったら、入院していると思って下さいね。

あ〜、明日にはたっくんの熱が下がっていますように。
心配かけるような事を書いちゃってごめんね。
出産その3
at 1999 10/20 23:06
随分、間が空いちゃったけど。

やっぱり痛くて痛くてどうしようもない。
本当はのたうち回りたいけど、お腹には赤ちゃんがいるからできない。
看護婦さんも自分の楽な体勢でって言うけど、動くとドッと(自分の感じでは)羊水が出ちゃうから動けないよ〜。
仰向けになったり、横向きになったりしてみるけど、そんな事じゃ
ごまかせない。
どうしても、看護婦さんや助産婦さんを呼んでしまう。

そんな私の様子を見て、夫も私の体力が持つかどうか心配しだした。
かなり顔がひきつってる。もう2日目の夜中だもんね。
何とか指1本くらいまでこぎつけたらしいが、いくら早いお産だからって
それじゃあ出てこられないだろう。先生には自力で頑張ると言ったけど、
そろそろ自信がなくなってきた。気が狂いそうだ。

時間ははっきり覚えてないけど、またまた先生を呼んで診察してもらう。
やっと半分という所まで開いたそうだ。まだ半分〜と苦しくて痛くて騒いだり、暴れたくてうなったりする。今夜も夫に当たりまくる。
「腰、さすれ!」「ナースコール!」「痛い!」

さすがに彼もオロオロしている。苦しくてあまり働かない頭で考える。
ここまでで、半分という事はこの倍苦しむのか・・・もう耐えられない、
ここまで自力で頑張ったんだからもういいや・・・。そして、またまた怒鳴る。
「薬、打ってって言って!!」
夫は看護婦さんの元に走る。そして、注射。
少ししたら、私は完全に錯乱してしまった。多分、
明け方近かったんじゃないかな。
それから、分娩室に行く為に部屋を出る直前までの事はほとんど
記憶がない。

朝になって、相変わらず半狂乱の私に、夫が今朝産まれなかったら、
帰って1度仕事にいかなくてはならないと言う。
丸2日間、ほとんど付き添いを強要しているし、仕方がないか・・・と
思っていると、看護婦さんが来た。先生も続いてやってきた。
よくわからないが、もう産まれそうになっているらしい。
すぐ分娩室にと言われた。

何がなんだかわからないまま、助産婦さんに連れられて部屋を出る。
ドアの所で、なんとなく振り返った私が見たのは、私が
食べられなかった朝食を、かっこんでいる夫。目が合う。
一体、自分はどうすればいいのかという感じだ。

ここで、ヤツを置いていったら、帰ってしまうに決まっている。
元々、立ち会いなんて絶対いやだと言っていた。怖くて気絶するというのがその理由。この入院が緊急事態だったし、私があれていたから、
成り行きで、付き添うはめになっていた。目が合ったのが百年目。
ここで逃してなるものか。「来てよ!」

そして、私と口をモグモグさせている夫とはいよいよ分娩室へ。
ここから出産までは30分かかっていないと思う。
いきみながら「痛い〜」と言うと、力が逃げるから黙ってと怒られた。
こんなに力を入れた事はなかっただろうと思う位、助産婦さんの
指示通りいきむ。

夫も必死の顔つきだ。一生懸命頑張るけど、産まれそうで産まれない。
先生があっさり、「お手伝いしましょう」何、それ?と思っていると
今までの張り裂けそうな痛みとは別の痛みが・・・。吸引してるんだ!

いいなんて言ってないのに。突然、へんな感触が・・・。赤ちゃんだ!
助産婦さんに、いきむのをやめるように言われる。そりゃそうだ。
先生が抱いている赤ちゃんを見る。
ひゃー、夫にそっくりだ。吸引されてエイリアンみたいな頭。
そして、涙が出てしまう。赤ちゃんが産湯に連れて行かれ、
私はぐったりして眠りだした。
夫は電話しに出ていった。とにかく疲れた。眠らせて。
市民団体って
at 1999 10/22 15:51
少し前から、近隣の市の「守る会」の親御さんと交流する場が欲しい〜と
考えています。そういう機会もあるんだけど、幼子を持つ身なので
少し遠いと、参加したくてもできない事が多いわけ。
だったら、近くでこぢんまりとでもやればいいじゃん。

聞いてみると、けっこう同じ思いの人がいたので、具体的に話が
すすんでいます。
12月19日に、私の住んでいる市で「クリスマス会」をする事に
決まったのだぁ。

1つ決まるとさらに欲が出てくるもので、「守る会」は貧乏だから
何とかできないかと、考え出した。会場は市の施設だから、民間より
安いとは思うけど、利用料は約五千円。会場のおじさんに「まけて〜ん」と
愛想をふりまいてはみたものの、玉砕。
ナゼ?

くじけずに市に問い合わせてみたら、福祉関係の市民団体として
市に登録すると、無料で利用できるという話。
じゃあ、しますと言ったら、書類を提出して認可されないと
登録できないんだって。
団体の事業内容がわかる書類と、参加者の名簿がいるらしい。
事業内容といわれてもなー、私は野に咲く1輪の会員。
そんなもの持ってるハズがない。

会報と、会から出版している本くらいしかないと答えると、
提出書類は返却できないときた。
いやいや、返してもらわないととくらいつくと、じゃあコピーしてとのお返事だ。
はいはい、1年分の会報と300ページ位の本のコピーですね、っておいおい。

どうも話がサクサク行かない。
登録する前に1回行って、打ち合わせしないわけにはいかないようだ。
まぁ、その担当者もせっかくの申し出だから、登録する方向で
対処してくれるとは言ってくれたので、もうちょっとたっくんが良くなったら
行こうと思ってる。

相手がお役所だから、それっぽい形にしとくと話が早いかなと考えて、
市内の小学校教員の友達に、名前を借りる事にした。
保健センターにも行って、保健婦さんを口説こうかと画策している。
あぁ、悪知恵だけは次から次へと溢れ出てくるのよ〜。
たまに自分でも天才じゃないかと思う事がある。
でも、これって目的はいい事だよね?悪知恵じゃないのかな?

これがうまくいくといいなぁ。そういうのがあると、いろいろ
動きやすいかもしれない。保健センターや福祉センターに資料を
置いてもらって、1人で悩んでいるお母さんに知ってもらえるといいなという計画も練っているのだ。

そういうエネルギーはあるけど、家事へのエネルギーはちっとも
湧かないのが不思議〜。(笑)今日も洗濯機は回したものの、
まだ干していないんだよね〜。
ま、今日に限った事じゃないんだけど。こうして、我が家の1日が
暮れてゆく・・・。
戦慄・・・。
at 1999 10/25 00:36
まだたっくんの風邪はひきずってます。早く復活してくれ〜。

昨日も遅くまで、PCの前でカタカタと快調に遊んでいた。
どんどん深みにはまっていってる。そんな深夜のお楽しみ中、足の指に
チクリ。何だ?と思って見てみたら・・・。

ギャアァァァ!!左足の薬指と小指の間にムカデが這ってる〜〜!!
思いっきり足を振り回す。気がつくと影も形もない。ど、どこへ行った!
仕留めないと安心してネットができない。
でも、ビクビクしながら探してもどこにもいない・・・。ヤバイよ。

あちこち捜索しても敵は気配すらないので、またカタカタとキーボードを叩く。←結局、やってるじゃねーか。どこかにいるはずなんだけどねー。
ウチは家庭内アウトドア状態。足を広げると掌サイズの蜘蛛も、
でかいむかでも、こおろぎみたいなのも(夫曰くイッケントビ)よく見る。
一時ネズミも出没していた。(捕虜となったネズミは生きたまま、
焼却炉で焼かれていた)

昔、姑は寝てる時にむかでにやられて、ズボンに入らない程、足が
腫れたらしい。そしたら、家事をしなくてすむかなぁ。

たぶん、むかでがひそんでいるだろう部屋で、
今夜もこりずにLOVEマシーン♪
ざまぁみろ!
at 1999 10/25 16:42
今日の昼間、たっくんがビデオを見ている隙に、メールを書いていた。
すると、たっくんが本気で泣き出した。やっばー、ケガでもしたかと
見に行くと・・・・。

畳の上をくねくねと這っているのは、まさしく前の日記に書いた
おそるべきムカデ。
私ばかりか、たっくんまで襲うとは許してはおけない!
ビビリながらも、ティッシュを山のように持って追う。母をなめんなよ。
この前の夜とは違う事を思い知ってもらおう!
ゲットしたかと思っても、スルッと逃げるが今日の私はそんなことでは
許さないよ。

覚悟!やっと捕獲成功。ビニール袋に入れて捨てた。ふ〜。
もう大丈夫だよ、たっくん。あなたが無事で良かったわ。
そして、ママも安心して夜更かしができるというものだ。めでたし。
幸福感
at 1999 10/27 01:32
たっくんが生まれて、こんなに人を愛せるのかと驚いた。
たっくんが私を求めて泣く、その目を見て、こんなにまで必要とされる事が
あっただろうかと感動する。
でも、普段の何気ない肌のふれあいにすごく幸せを感じる。

例えば・・・。抱っこしていて、たっくんの腕が私の首にギュッと回された時。何かの拍子で頬と頬が触れ合った時。たっくんが私の髪をさわる時。
そして、たっくんが私の頭を撫でてくれる時には、涙が出そうな程幸せだ。
気持ちよくてうっとりする。ずーっとこの瞬間が続けばいいと思う。

1人の子供の小さな手が、こんなに人を幸せにできるものなのかと
気づかされた。
だから、私もしょっちゅうたっくんを撫でる。
私の手でもたっくんがそんな風に、ううん、ほんのちょっぴりでも、愛情とか幸せとか感じてくれたらいいなと思って。
人の肌のぬくもりには偉大な力があると思う。

そんな事を考えながら、たっくんに寄り添っているうちに、
私の想像の翼は飛ぶ方角を間違えてしまう。
たっくんのほっぺを触りながら、あぁ、ひげが生えてしまうのね・・・と
悲しくなる。
この可愛い声もダミ声になるのか、彼女ができたらいじめてやろうとか、
段々ろくでもない事を考え出していく私。

そして気がつく。たっくんが誰の子かと言うことに。
私の夫は体毛が濃い。胸毛もある。
へそ回りなんか、芸能人水泳大会の西城秀樹も真っ青だ(年がバレるぞ)。
あ〜やだ、やだ。たっくんがそうなるなんて、考えただけでもやだ。

それなのに・・・。たっくんのじいちゃんはつるっぱげ、亡きひいじいちゃんもつるっぱげだ。夫もかなりやばそうだ。父方の血をひけば、
間違いなくたっくんもそうなる。そして、たっくんの外見はほとんどが
夫そっくりという悲しい現実。

私の可愛いたっくんが、体毛ぼうぼうで、つるっぱげになるなんて
ひどすぎる。
そして私は涙ぐみながら、意識不明になっていく・・・。
ばかやろー!
at 1999 10/31 02:23
金曜日、市の福祉協議会という所に行った。
前に書いた市民団体の登録の事で、資料を作る前に確認しておきたい事があったから。
風邪がやっと治ったのでたっくんと2人で行ったの。
電話でかなり話は進んでいたから、そう時間もかからないだろうと気楽に
行ったんだけどね。

もう腹が立って呆れてしまった。
担当がいないとか言われて、一から説明をしなくちゃいけなくなった。
これでちょっとムカッ。
話し出すとすぐに席を立って、上司や電話で何かいろいろ確認している
様子。そんな事は話が終わってからやってくれ。何回話が途切れた事か。
またムカッ。

たっくんだってじっと待っているわけがない。
話し合ううちに、電話の時の話とあまりにも言っている事が違うので
さらにムカムカー!

その内、車がないといけないような場所でやれだの言い出した。
車に乗れない人だって、世の中には沢山いるだろ!小さな子を連れて
電車に乗って、えんえん歩いてこい、できなきゃ来るなという事なのか。
それができれば、何もここに申し込みに来る必要はないんだよ。
いったい、何を考えているのかと頭の中は沸騰寸前。

あげくの果てに、よその市でやったらと言い出した。
近くの市では市民団体として登録できるほど、人数がいない事を説明する。
もちろん、他の市でもそういう場を持つつもりだけど、一般の集まりとして
会場を利用させてもらう事になると思う。
10人位いるうちの市だけでも、活動しやすいようにと考えるのは
わがままなんだろうか?

個人的な事だったら、もう放りだしていたかもしれない。
相手からみれば、わけのわからない吹けばとぶような集まりかも
しれないけど、そりゃないだろ。
地域の、心臓病の子供を持つ親御さん達と、励ましあえる場を
持ちやすくできればと思って、僭越ながら1主婦の私が代表として
来ているわけだから、簡単にキレてあきらめるわけにはいかない。
でも、相手には通じないし、話にならなかった。これだけで1時間近く
かかった。もうどうなってるんだ!

相手も少しは悪いと思ったらしく、市の福祉課にも紹介しておくからと言う。
ついていくと、中間管理職らしいおじさんが出てきて、
条例では、個人レベルのそういう集まりは認められていないと
突然言われる。

お茶のみサークルと、勘違いでもしているのかと一生懸命説明するが、
だってあなたが代表なんでしょうと聞く耳持たず。
そりゃ、誰か動ける人が行けるときに行かないと、話はちっとも
進まんだろー。とにかくどいつもこいつも話にならない。
たとえ、申し出に応じられなくても、きちんと対応するのが仕事だろうが。
何の為にここにいるんだ、一体。

もうこの日は気力もなくなって、すぐ福祉課をあとにした。そして、
同行してくれた福祉協議会のおばさんに「何の為に福祉課に紹介したの?」と言ってしまった。

そりゃ、市には市の決まりもあるし、言い分だってあるかもしれない。
断られる事もあり得るとは思っていた。
それでも、あまりの誠意のなさ、心のない仕事ぶりにはどういえばいいのか
わからない。こんな市に住んでいるのがイヤになるよ。
でも、資料作りに一生懸命になるんだろうな。自分のやれる事は
やっておこう。ふん。

何か腹が立って、冷静じゃないから自分勝手な部分があるかもしれない。
日記ということでお許しあれ。

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