出題年:98年
出題校:東京大学
問題文
アメリカ合衆国とラテンアメリカ諸国は,ともにヨーロッパ諸国の植民地として出発した。しかし,独立後は,イギリスの産業革命などの影響の下で対照的な道を歩むことになった。たとえば,アメリカ合衆国の場合は,急速な工業化を実現していったのに対して,ラテンアメリカ諸国の場合は,長く原材料の輸出国の地位にとどまってきた。そしてラテンアメリカ諸国は,政治的にも経済的にもアメリカ合衆国の強い影響下におかれることになったが,その特徴は,現在のラテンアメリカ諸国のあり方にも大きな影響を及ぼしている。
そこで,18世紀から19世紀末までのアメリカ合衆国とラテンアメリカ諸国の歴史について,その対照的な性格に留意しつつ,ヨーロッパ諸国との関係や,合衆国とラテンアメリカ諸国との相互関係のあり方の変化を中心に,下に示した語句を一度は用いて,15行(450字以内)で記せ。なお使用した語句には必ず下線を付せ。
プランテーション パン=アメリカ会議 南北戦争 ウィーン体制
自由貿易主義 モンロー宣言 クリオーリョ 米英戦争
採点基準例
*植民地時代
・ラテンアメリカ,アメリカ南部
商品作物・鉱物資源供給(2点)
・アメリカ北部
自営農民中心で,造船業なども発展(2点)
重商主義政策の下で抑圧(1点)
*独立後
米英戦争→北部工業の自立(2点)
保護貿易主張(1点)
南部は英産業革命の綿花栽培地域(2点)
自由貿易主義主張(1点)
南北戦争→北部中心に再編→急速な工業発展(2点)
*ラテンアメリカ諸国
独立運動の中心クリオーリョは白人大地主(2点)
独立後も社会構造は変わらず,原材料輸出国(1点)
*合衆国とラテンアメリカ諸国の関係
合衆国モンロー宣言→ウィーン体制干渉阻止(2点)
19世紀末フロンティアの消滅→海外進出(2点)
パン=アメリカ会議開催(1点)
ラテンアメリカ諸国に影響(1点)
カリブ海政策→1898年米西戦争→進出強化(2点)
以上を採点基準に20点満点で採点
解答例
植民地時代のラテンアメリカと合衆国南部は,プランテーションの商品作物や,鉱物資源など一次産品の供給地であり,自営農民中心で造船業の発展が見られた合衆国北部も,本国の重商主義政策で抑圧されていた。独立後の合衆国では米英戦争を機に北部工業が自立し,北部は保護貿易主義を主張した。南部は綿花栽培が盛んとなってイギリス工業の原料供給地となり,自由貿易主義を主張した。南北戦争後,合衆国は北部中心に再編され,西部開発の進展もあって急速な工業化を実現した。ラテンアメリカ諸国では,独立運動の指導者のクリオーリョの大部分が大地主であったため,社会構造は変化せず原料輸出国にとどまった。ウィーン体制の干渉に対しては,合衆国は米欧相互不干渉のモンロー宣言を発し独立を支援したが,その後は自国の西部開発に重点を置いた。しかし,19世紀末にフロンティアが消滅していくと,対外進出を意図し,パン=アメリカ会議によってラテンアメリカ諸国に対する影響を強め,1898年の米西戦争を機に積極的なカリブ海政策を展開していった。(444字)