なんでも掲示板(平成15年度事業報告詳報)54回総会付録       自治会ページへ

 前回はじめての試みとなった付録"なんでも掲示版"でしたが、皆様から寄せられた声はおおむね好意的なものでした。付録の趣旨は、やがて記念誌をといったときの参考になるように、諸活動の記録等を書留めておいたらというものでしたから、もう少し続けてみようということになりました。
   
目次
地域と高齢化社会について 第11ブロック親睦球技大会を担当して 山車新調なる
 ブロック運動会を担当して

平成15年度防災技術発表会・拝島駅前女性チーム優勝
 第11ブロック防災訓練報告 森田正夫様叙勲受賞おめでとうございます

 地域で育つ子どもたち 「ふるさと祭り」を終えて 村野茂さんが市より感謝状 最後の演奏会を迎えて

 僕とマーチングバンド 自分と「拝島駅前自治会」 我が青春の町「拝島駅前」

 エッセイ・六十の定年からがおもしろい
父の楽しみ  四国巡り一人旅(徳島編T)  私の趣味と想うこと  

新しい道を切り開くパイオニアとして生きる―60歳からの人生 豊かな齢の重ねかた『老後』を『ハッピ ーエイジ』にするために



 巻頭言

地域と高齢化社会について


         相談役 松本 朗

 私達の住む地域内に、大型スーパーが誕生し、その近隣には大きな病院も建設されると聞きました。また、拝島南口のバス停留所も整備されるなど、生活環境が徐々に変化してきています。
 ところで、少子高齢化が進んでさまざまな問題が提起されています。特に高齢化社会へのスピードは速く、フランスの5倍で進んでいるそうです。総務省によると、平成15年9月現在で、日本の65歳以上の人口は2,431万人になり、総人口の約19パーセントは、主要先進国の中で、最も高齢化が進んでいることを示しているという。
 高齢化社会が抱える問題は、昭島市においても例外ではありません。地域組織の発展と活性化、そして若年世代から高齢者世代までの皆が、安心して暮らせる環境、住み良い街づくりをする事が、地域全体で取り組んで行く課題だと思います。
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6月7日、8日
第11ブロック親睦球技大会を担当して

        体育部副部長 古谷 雅道

 早いもので昭島市に移り住み10年が過ぎ、今年初めて組長・体育部副部長を担当することになりました。
 体育部初仕事が親睦球技大会で、右も左も分からないまま6月7日(土)ゲートボール大会が行われ、ルールは初心者でも気楽に楽しめる特別ルールを用意して頂き1チーム5人5自治会総当りの熱戦が繰広げられました。(成績はなんと準優勝の好成績)
 翌8日(日)ビーチボール(拝三小体育館)・ソフトボール(啓明学園グランド)が行われ、私は、ビーチボール得点係りを担当し、白熱するゲームを見ながら来年は裏方より参加して楽しみたい気分を感じました。その後ソフトボールの応援に行きソフトボールのレベルの高さに驚き、これは参加するより応援に徹したほうが良いのでは?と思ったしだいです。(結果は実力通りの優勝)
 無事、球技大会が終了し、その晩に行われた打ち上げは、盛況で球技大会の親睦以上に親睦が図れた気がします。生活に密着した地域交流の楽しさ大切さを感じた球技大会でした。
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8月16,17日祭礼
山車新調なる

       事業部長 森田米三郎

 長年夏祭りの山車に使わせて頂いた、小林様の軽トラックが廃車になったのを機に、木製の山車を新調しました。制作は石川様にお願いしたものですが、考案からお披露目までには、石川様はじめ、大久保様・渡辺様・菅井様他会員諸氏の大変なご協力ありました。
 完成までに充分な日数がなかったことや、予算の制約などがあり、装飾は殆どなされていませんが、だんだんと手を加えながら立派なものしてもらえたらと思います。また、山車の格納のことですが、自治会館の内も外も手狭になってきており、外側の物置を拡張すること等も近々の課題になると思います。今年は小林さまの敷地内で保管いただいておりますが、かさねがさねのご好意に対しまして、あらためて謝意を表します。
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10月19日
ブロック運動会を担当して

      体育部長 海口 賢治

 10月19日、拝島第三小学校校庭において、昭島市自治連第11ブロック5町会(緑ヶ丘・富士見坂・松原・小荷田・拝島駅前)合同の大運動会が、スローガン"高めよう心と身体のハーモニー"の下、素晴らしい天気にも恵まれ、成功裏に終わることができました。駅前マーチングバンドの可愛らしい行進、拝島中学吹奏学部の演奏、リレー競技の興奮、総合優勝などを思い起こすとき、体育部長冥利に尽き思いです。あらためて町会の方々のご協力を誇らしく感じ感謝致します。
 ブロック運動会は、市民の相互交流と健康増進を図るために昭島市が計画した市民体育大会プログラムの一種目ですが、第50回大会は20のブロックが16の会場(複数ブロック合同が3会場)で開催する計画になっていました。
 当初、私達担当町会では、19日が雨で校庭が使えなくなった場合、同日体育館での競技に切り替える案を提案していました。しかし、毎年一週間後を予備日として計画してきた長い歴史があり、これまでに校内実施を強いられたケースはあまり記憶されていないこと、市や他のブロックから注目を集める内容充実の大会になっていることから、5町会の半数以上で従来方式を支持する意見が強くなり、26日を予備日とする案を受け入れました。幸いにも19日の好天で延期を免れ、大会役員や選手のお願いで苦労したことなどがが良い想い出になっています。
 お天気相手では毎年幸運が保証されるはずがありません。体育部を中心に取り組んでいた屋内プログラムの検討は、途中で放棄したかたちになりましたが、予定変更に伴う苦労を考えると、いずれは11ブロックでも同日体育館に傾き、駅前での検討内容が活きる日が来るのはそれほど遠くないと思います。ちなみに今回は、16会場の内10会場で雨天同日体育館の計画になっていました。
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11月8日
平成15年度防災技術発表会・拝島駅前女性チーム優勝


        女性防火の会地区代表 森田 久子

 暦の上では立冬と呼ばれながら、半袖シャツでも汗ばむほどのぽかぽか陽気のとなった11月8日、光華小学校の校庭で行われた、昭島消防署主催防災技術発表会において、田中・富川・吉野チームが見事優勝しました。
高橋防災指導委員の薫陶を受けた若い女性チームの、やる気と華麗かつ正確な技術は会場を圧倒し、高得点に繋がりにくいとされる1番目の発表を引き当てながら、ジンクスを見事に打破する結果となりました。
 過去には高齢者のチームが大半を占めていたようですが、チームの編成が少しずつ多様化しているように見受けられました。もちろん今回の20チームの中にも合計210才以上というのもありましたが、駅前のように年齢幅の小さい若い女性のチーム、他での年齢幅の小さい若い男性チームの台頭が目立ちました。また、両親と子供の家族チームも1つあり、会場の雰囲気を大いに和ませました。技術の方でも大人だけのチームと比べて遜色がなく、唯一の特別賞が与えられました。
 各自治会とも優勝を目指して張り切っていること、地域住民の中で防災意識がますます高まっていることを実感した3時間でした。
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11月23日
第11ブロック防災訓練報告



         総務部長(拝島駅前防災対策委員会広報部長) 岡部 恒男
                              

11月23日(勤労感謝の日)、平成15年度の第11ブロック防災訓練が拝島第三小学校の校庭で行われました。午前9:00に地震発生を想定し、各家庭での避難準備を済ませた方々が松原3丁目児童遊園(祭り会場)に集合しました。人員確認の後、9:30に校庭に移動し、人員報告に続き、自治会単位に分かれて、昭島消防署員のご指導を受けながら、初期消火訓練・通報訓練・煙体験訓練・応急救護訓練・バケツリレーを体験しました。
 そのほかに、住宅火災報知器の展示や、過日の防災技術発表会で優勝した駅前女性チームによる模範演技がありました。11:10から昭島消防署名澤大隊長・昭島市役所田島防災課長・昭島消防団第3分団杉田分団長による訓練のまとめと講評があり、11:30に散会となりました。
 今回の訓練には、各自治会から100名、合計500名の参加が目標になっていましたが、225名(緑ヶ丘33・拝島駅前70・富士見坂48・小荷田27・松原47)にとどまり、立派な訓練プログラムにてらして少々残念な気がしました。
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12月20日
森田正夫様叙勲受賞おめでとうございます

          会長 村上 政美

 1区の森田正夫様は、永年保護司としてご活躍されていますが、その功績により、秋の叙勲において瑞宝双光章の栄に浴されました。誠におめでとうございます。
 森田正夫様は、自治会の草創期に副会長として大変ご活躍され、その後もずっと、夏祭りの御輿巡行に際して休憩場所をご提供されるなど、自治会の諸活動を暖かく見守ってこられました。今後とも引き続きご指導とご支援を賜りますようお願い申し上げます
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1月18日(日)昭島市新春凧あげ大会
地域で育つ子どもたち

        拝島第三小学校 教 頭  河 瀬  正

 1月18日(日)に、昭島市新春凧あげ大会が行われました。前日に降った雪が残る拝島自然公園に、朝早く地区委員会の人たちが集まり、テント張りや、たき火、受付の準備をしていました。10時の開会式には、200人以上の子どもたちが集り、自分の作った凧を審査会場に並べていました。今回は、他の地区を合わせると1900名近くの子どもたちが参加したそうです。この数字は、昨年よりも200名も増えています。
 凧あげ大会のねらいは、「凧作り、凧あげを通して親と子や地域の人々との交流を深め、みんな仲良く生活していけること」です。自治会やPTA、拝三小地区委員会の皆様のお力によって、今回の大会が運営されています。多摩川の川原を利用した凧あげ大会は、昭島市ならではの活動です。地域の人たちも、子どもたちも活力があります。おかげさまで、拝島第三小学校の子どもたちも、いきいきと学び、いきいきと活動しています。
 一年間を振り返りますと、地域の行事はいくつかありました。「春のスポーツ大会」「11ブロック地区運動会」「防災訓練」「青少年フェスティバル」「凧作り教室」「PTA企画活動」等それぞれ特色ある行事で、子どもたちは参加の機会に恵まれました。
 このように、学校を離れた地域での直接体験の中で、子どもは自分で考え決定しなければならない場面や、人に譲ったり我慢したり、人の優しさにふれたりする場面をたくさん経験することができました。また、自分の良さを十分に発揮する場面ももてました。これらの経験が一人一人の自信につながり、学校でも自信ある行動につながります。
 2月8日(日)は、第12回拝三地区ふるさと祭りが本校校庭、体育館で行われます。この行事の役員は本校の高学年児童が中心になっています。子どもたちが、催し物の内容を考え、地域の人たちはできるだけ子どもの意見を尊重し、計画を進めてきたそうです。自分たちで計画し、実行し、そしてみんなが喜んでくれるふるさと祭りになれば、子どもは自信をもち次の意欲へつながると思います。このような、子ども時代の体験は、やがて大人になった時に、故郷を大切に思う心のベースになるのではないでしょうか。また、次の世代に引き継いでいく力ともなるでしょう。   (拝島第三小だより2月号より転載)
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 2月8日
「ふるさと祭り」を終えて

        子ども会代表 田中 靖子

 早いもので、子ども会の世話人を引き受けさせて頂き、数々の行事がありましたが、いよいよおおず目に近づいてきました。
 2月8日(日)第12回拝三小地区「ふるさと祭り」が開催されました。この行事は、地区委員会の人たちと児童たちが中心となり、催し物の内容や進行を話し合い何回も会議を重ねてようやく、当日を迎えました。
 体育館では名物「お化け屋敷」。前日からダンボールを重ね通路を作りブルーシートやつい立てで光をさえぎり、ミイラやお化けの人形を飾り、迫力のある本格的なお化け屋敷の完成です。校庭では焼きそばにフランクフルト、じゃがバターにとん汁、また、竹馬にこま回しなど様々な模擬店でおお賑わいです。その中でも駅前は『クレープ』と『チョコバナナ』を作りました。薄いクレープの生地にバナナや生クリーム、チョコレートを散りばめ紙に包み、またチョコバナナは子供たちの目を引くために、コアラのマーチをのせました。前日の準備、早朝からお手伝いをしてくださった駅前自治会の方々に試食をしていただき、大好評のかいあってか最初に完売しました。行事のたびに思うことですが、駅前自治会の人たちは協力的でいてとてもやさしく手際の良さチームワークの良さには本当に驚かされます。
 子ども会行事では、学校の家庭科室を借りて幼児から6年生の子供たちでパン作りをしました。みんな夢中になって、こねたり形を整えたりと一人一人のパンが焼きあがりました。12月は自治会館でクリスマス会があり、大皿にたくさんのごちそうをみんなでいただき、子供たちだけでゲームを考え、たのしいひとときを過ごしました。まだまだ多くの行事がありましたが、その中で思うことですが、あまり一緒に遊んだことのない子ども同士でも、少しずつ打ち解け合い、いつの間にか楽しく遊んでいます。大きなお兄さん、お姉さんたちが小さい子どもたちと楽しく話している姿は、本当にほほえましい限りです。せっかく地域にこんな素敵な会があるので、もっともっとたくさんの子どもたちをお待ちしています。

え:笑顔が似合う駅前自治会
き:几帳面な人
ま:前向きな人
え:偉ぶらない人
よ:良き人たちが集う町
い:いつまでも
ま:町づくりのために
ち:力を合わせ、素敵な町内会でありますように
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 2月28日
村野茂さんが市より感謝状

          会長 村上 政美

6区の村野茂さんは、平成15年度昭島市青少年健全育成協力者として、2月28日に市長より感謝状をいただきました。村野さんは、拝島第三小学校の1年生から6年生の児童が集うペガサスソフトボールチームを、コーチとして8年間、監督として9年間指導されました。このご活躍を通して培われた数多くの児童・父兄との信頼関係はすばらしく、ブロック運動会の選手集めは、毎年のように村野さんの人脈を通した声かけに助けられてきました。
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 2月29日マーチングバンド
最後の演奏会を迎えて

         7区  金井 友里奈

2月29日、イトーヨーカドーでマーチングバンドの皆と演奏しました。最初は恥ずかしくてやりたくなかったのですが、練習をしていくうちに、だんだんがんばろうという気持ちになりました。私は6年生です。なので、今回の演奏が最後でした。本番は今までで一番緊張しました。いっぱい間違えました。精一杯がんばりました。こうしてがんばれたのも先生方や役員さん、たくさんの後輩のおかげです。今までありがとうございました。中学生になっても、お世話になったマーチングにお手伝いに行きたいです。
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僕とマーチングバンド

        7区  上田 哲明

マーチングバンド=学年を超えてワイワイさわげる楽しいところ(イメージ)

 僕の頃は、1年生の時から、ポンポン、バンドを1年間づつ、さらにトランペットを2年間やってから、打楽器かトロンボーンの中から好きな楽器を選ぶことになっていました。僕は、ずーっとやりたいと思っていたトロンボーンを5,6年生の2年間吹きました。この歳だと、腕が短くてスライドが伸びきらなかったので、スライドをあまり伸ばさなくてすむような曲に編曲してもらっていたようです。
 中学校でも吹奏学部に入りトロンボーンを続けて、今では腕も長くなったので3オクターブ位は出るようになりました。今吹いている子達をみていると、あの大きな楽器をあんなに小さいのによく吹けるなとおもいます。
 ところで、拝中の吹奏学部には毎年何人かのマーチングバンド出身者が入部しています。ほとんどの人は、それまでやっていたのとは違う楽器を担当していますが、その技術の基本はマーチングバンドにあると僕は思います。
 それにしても、僕らの頃には人数が足りなくて、使われていない楽器がいくつかありましたが、今では人数も増えて全部の楽器が登場して、頼もしい演奏をしてくれています。これからもみんなでのびのびと楽器を楽しめるマーチングバンドであってほしいです。

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自分と「拝島駅前自治会

         組長 6区 矢澤 敏臣

ようやく、昭島市に住んで3年目になります。今までは「町内会とか自治会」などには全く縁がありませんでしたが、マンション(自宅)の管理組合の関係で今年1年「拝島駅前自治会」の各イベントに参加することになりました。イベントとしては、鎌倉バス研修、夏祭り、運動会、一斉清掃、防災訓練などです。
 運動会(今年は11ブロッツクの幹事町内会)や夏祭りを成功させるには、自治会会員の協力を得る必要があるとのことで、協力・信頼出来る関係を構築する事が目的でもあった「鎌倉バス研修」(6月22日実施)に参加しました。車中にて「息子は1歳で公園デビューを果しましたが、その親父は50歳で自治会にデビューです」と自己紹介し、「拝島駅前自治会」への参加表明をしたのを今でも覚えています。
夏祭りでは、「お神輿」の掃除・研き、祭りやぐらの組み立て、テント張り等の準備を楽しく参加しました。お神輿の担ぎ棒を'ワラ縄'で結ぶ方法やテントの張り方等を地域の諸先輩に教えてもらいました。本番では「お神輿」を担ぎ町内を一周、後片付けと打ち上げ、全てが新しい経験となりました。(人生初めての祭りに参加となったので、恥ずかしい話、祭りの'半股'の着方さえ判りませんでした)
次は運動会です。運動会の事前準備は夏祭り程多くはありませんでしたが、1等賞に300円、2等は200円、3等は100円、参加賞は50円の予算で参加者に喜んでもらえる景品は何が良いか?等考える為にスーパーマーケットをうろうろしたのを思い出します。また運動会は20数年ぶりに出場するので(本当は「出場係」として裏方で出るのであるが)、2ケ月前より多摩川の土手や会社近くの運動競技場にて「100mダッシュ」の練習をしました(通常は、10km程度のジョギングを楽しんでいます)。運動会直前には、羽村市運動会や(50m、1000mに出場)昭島市民運動会(100m、400mに出場)に出場して準備(?)を楽しんでいました。その効果は、本番の運動会で高校生、中学生と一緒に走った「障害物競争」で堂々の2位になった程です。
 町内一斉清掃には、2回か3回参加しました。他人が捨てたゴミを拾う(ボランティア)経験はありませんでしたので最初は少し抵抗がありました。しかし、自分の家の周り(歩道)がキレイになり、「気持ちいい」と感じたのを思い出します。(そのきれいな町に'ポイ捨て'する人、「マナーを守りましょうね」)。今後も定期的に町内一斉清掃があると思いますので、出来る範囲で参加していきたいと思います。
 昨年まではこの様な「自治会」のイベントに参加する事の無かったので、自宅から駅までの道のりで誰1人声を掛ける人もなく、又掛けられもしませんでしたが、最近は「お早ようごさいます」「こんばんは」など声が時々聞こえてきます。そして、「自分の住んでいる町」を実感出来る様になりました。
 今後も'自分の町'にする為に積極的に色々な行事に参加したいと考えています。
 
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我が青春の町「拝島駅前」

       西武信用金庫拝島支店 次長 青木 真澄 

 私が19歳にして、大学進学の為上京、通学で利用していた駅が拝島駅です。
それから19年後、38歳にして再び拝島に職場として戻ってくる事ができたとは不思議な縁を感じております。19歳にしてこの駅に降りたった時自分のいなかを思いだすような気がしました。思えば上京時、おばあちゃんから「あんたなんか、東京に行ったら悪い人にころっと騙されそうだから東京なんか行くな」と言われたことを思い出します。
振り返ると今まで自分はいろいろな人に励まされ守られてきたなと感じます。この「なんでも掲示板」という機会を頂きもう一度、上京した時の初心に帰るキッカケとして今まで自分の励ましとなった文章や言葉を書いてみようと思います。
・「スーツケースいっぱいに詰め込んだ希望という名の重い荷物を、君は軽々ときっと持ち上げて笑顔を見せるだろう」これは当時流行った歌謡曲で、自分が東京に上京する際、雪の降る中、友人に見送られながらでっかい荷物を担ぎ「八甲田」という夜行列車に乗り込んだ際、自分と歌とをダブらせ浸った歌詞です。期待と不安と友人のやさしさが入り混じり、感極まり涙ぐんだ想い出があります。
・「この世に生を受けたるは事を為すにあり」これは「竜馬がゆく」に出てくる言葉です。何回も好きで読み返した小説です。大学時代、日記の表紙に大書きしていました。
・「職場には3種類の人間がいる。いて欲しい人、いてもいなくてもよい人、いては困る人」「仕事は3人前やる決意をしよう」就職する前大先輩から言われた言葉です。仕事はなかなか大変ですが、この言葉は時々思い出し自分の肝に銘じ惰性とならぬよう戒めたいと思っております。
・「帰ってくるな。東京でちゃんとがんばって来い」母が病に倒れ、自分が田舎に帰ろうか迷っていた時に母から言われました。今でも母の闘病生活を思い出すと、なにか自分が大変な時や苦しい時でも、小さい事と割り切れるようになりました。
・「俺は人を育てるのが好きなんだ」当時今までと全く違う仕事をして壁にぶち当たりまくり状態の時で、自信喪失し落ち込んでいたときに上司からかけられた言葉です。また、「君ならできる。体を大切に、一人でかかえるな、応援しています、ずっとずっと」と上司が文を書いてくださり何度励みになったことか、早く貢献できるようもがいている毎日です。最近、いかに色々な人に助けられ、守られてきたのかを感じます。それは家族だったり、職場の仲間だったり。以上、とりとめもなく思いつくままズラズラと書いてしまいましたが、一番多感な時期を過ごした想い出深き拝島駅前に、また新しい自分の良き想い出となる1ページをつくっていこうと思います。

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エッセイ・六十の定年からがおもしろい(1)

父の楽しみ

        1区  板橋 三千代

 義父が時折絵を描いている小部屋があります。その部屋に入ると、パット眼につく絵があります。
 一枚は今も時々指導を受けている木村先生のもので、あと一枚は亡くなられたが、以前よく話されたという小貫政之助さんという方のものです。
 木村先生からは、今もお叱りをうけていますが、いくつになっても、叱責して下さる人がいることは幸せだといっています。
 先日、木村先生の東京芸大時代の恩師だった山口薫教授の個展がありましたので、義父は早速出かけて行ってきました。詩情豊かな作品に感動したと話しておりました。
 小貫さんについては、「ただ綺麗な作品、テクニックにのみ走る絵を描こうとするなら、絵をかくことをやめなさい。」といわれたことが、今も鮮明に思い出すと話します。
 あと一年で八十才になろうとしているからか、人間について探求しようとした絵や小説に強く惹かれるとのことです。そして、次のような話をしました。
 "ゴヤ"のように人間の醜さ、弱さを表現した画家、"ムンク"のように不安、死といった面から人間を凝視した画家。
 さらには、眼にみえないものを表現しようとした人々。「祈り」「退廃」それぞれの中に人間を探している。小説も同じことがいえましょう。人間の内面のヒダというのでしょうか、弱さの中にも本来の姿を見い出そうとしているようですし、いろいろの角度から人間を写し出そうとしているように思える。
 名作と呼ばれる作品は、絵や小説に限らず、あらゆるものが、人間を深く掘り下げてみつめようとしているのでしょうとも話しています。
 どうして絵を描こうとしたのでしょうかと問うと、「絵が好きだったからということが第一。下手の横好きともいえるけど。第二に、環境といいますか、人との出会いや、生育した所にもよるといえそうです。」と。
 職業がら(教職)や、現在のグループの中に、独立、二科、国画会、光風会、東光会等々に所属している方々がおられ、そうした人々からの刺激もあったともいえるようです。
 展覧会に出品していますかの問に、「未熟なので、とても個展や展覧会に出品していません。国立の"コート・ギャラリー"四回位、中野の会場で六回グループ展を開いた程度です。」と。
 最近の心境はの問に、「未熟のままでいいから、名画をみたり、ブツブツと独りごとを言いながらも、ヘボ絵を描こうかな、そして、いつまでも感性を柔軟に持ち続けたい。年をとるにつれて、忘れることが多くなってきていますが、反面、心に迫ってくるもの、感動できるものと、表面的なものとの違いが、なんとなくわかってきた。」と。
 短い時間であったり、時折義父が話したことを書きました。駄文で大へん失礼いたしました。                            
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エッセイ・六十の定年からがおもしろい(2)
四国巡り一人旅(徳島編T)

        副会計 保科 紀一

 徳島には23か所の札所があり、その距離163Kmあります。そもそも私は、この旅に出る予定ではなかったのだが、友達と飲んだ席で「秩父の寺巡りも終わったし、次は四国八十八箇所巡りでもやってみたいな」と言ったのが、いつのまにか「四国へ行く」と言うこととなり、壮行会をすると言う。まあいいか、どうせ暇なんだからと言うことで出発してしまった。
 四国に着いたが、なんせ私としては初めての四国入り、右も左も分らない。1番札所に行けば何とかなるだろうと、タクシ−に乗った。降りた所が、竺和山霊山寺。「ヘ−これが1番札所か」さすが四国だ。どっしりとした重厚な山門少々圧倒される。
 寺の脇にある売店で必要な物を買い込む。杖・輪袈裟・白衣・菅笠・教本・納経帳・線香にロ−ソクとこれらを入れる頭陀袋など、けっこう金がかかる。これらの品物を持って、宿探し。さあいよいよ明日からスタ−トだ。早寝とするか。
 朝5時起床、6時朝食、7時スタ−ト。白衣を着る、少々てれくさい。今日は初日なので無理をしないつもりだ。天気もいいし、菜の花もきれいに咲いている。そこで一句「菜の花に送られたどるへんろ道」なんて。
 10qあたりになったら足が痛くなった、マメができたらしい。次の札所は 6番安楽寺。あと5qガンバロ−。でも足が痛い。東京じゃあこんなに歩くことねえものなアと納得。
 ヤット着いた、 2時を少々回った時間だ。受付で宿泊を頼む。OK。サッソク部屋に入り足の様子を見る。マメが5個もできていた。食事時、酒を頼もうと思ったがなんとなく頼み難い。今日は我慢して寝ようと思ったがなかなか寝付けない。しかたないので自販機で缶ビールを買い飲んだが、こんなのできくわけねえや。あきらめ床に着く。
 翌朝7時スタート。今日は7・8・9・10と歩き11番へ向かう。歩く距離は、約20q。足が痛いのでユックリ歩く。1番から9番はほぼ平地にある寺だが、10番切幡寺は山の上、それも 333段の石段が続く。足が痛いのによくやってくれるよと思う。登ったら下らなければならない、ヒザがガクガクになる。
 11番は藤井寺。この近くには宿が少なく泊まれそうもないとのこと。切幡寺の近辺には宿はあるが、まだお昼だから少し早すぎる。11番へ向かうことにして、途中の宿を探しながら行くことにする。 切幡寺から5q程歩くと吉野川にぶつかる。ここには四国で有名な『沈下橋』がかかっている。この橋は手摺がなく、車と擦れ違う時などは怖い感じ
がする橋である。橋を渡った所が川島町でJRの駅もある。駅前に行けば宿があるだろうと思い行ってみたら何にもなし。2つ先の『鴨島駅』に行けば宿があると言う。しかたがないあと5q歩くか。
 やっと宿を見つけた。泊まり OK。ホッとする。明日は 山登りがある。早寝して、体力温存しよう。おやすみなさい。
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エッセイ・六十の定年からがおもしろい(3)
私の趣味と想うこと

        3区  田邊 清

 私が鮎釣りに傾倒するようになった動機は、40年も前に職場に近い神田駅前の小さな居酒屋で出会った人達に強く影響を受けたものです。
 毎日のように店に来る、どちらも70才位で頭が白い元気な三人組は、いつも鮎釣り話を酒の肴にしていました。童顔になって楽しく談笑する彼らの姿は、しっかりと周りの人達をも和ませ、自分もいつしか鮎の虜にさせられていた。また、仕掛けの作り方や釣りの道徳などについて、彼らから厳しく指導して戴くことにもなった。それ以来、私と鮎の親密な関係は40年以上も続いています。
 その間、北は山形県の小国川から、南は岐阜県馬瀬川と、各地方の鮎に合いに行きました。従って夏の4ヶ月は、引き込まれるように鮎の川原に入っています。テレビの中にはない暑さ、寒さ、そして臭いが自然の中には多くあります。「暑い川原で、朝早くからよくやりますね」と多くの人に云われましたが、しかし苦しみどころか、楽しく嬉しいのです。夏は私の季節です。日焼けして甲の黒さは、私の夏の勲章です。「あの人は日本人なのかしら」と昔はよく間違えられました。又鮎釣りを通して、色々な多くの人と出会いが出来ました。日焼けの黒さは、見知らぬ人との垣根を外してくれます。ある大手企業の役員とパーティの席でお会いした時に、その方も手の甲が焼けていました故に、互いに鮎の話で盛り上がり、それ以来20年のお付き合いが続いています。
 色々な魚達と出会っていますが、何故か鮎釣りにのめり込むばかりです。釣り技を高めるための道具作りの試行錯誤・改善試行の楽しみ、行く先々の山里の人達との心のつながり、森林浴、緑とのふれ合い、釣った鮎を贈る悦び、釣った鮎を塩焼きして知らぬ同志が地酒を酌み交わす楽しさ。これがあるから一層引きつけられているのでしょうか。
 又鮎は利口な魚で、流れの強さ、苔の付き具合、水温と気温に敏感に動きますので、二日酔いや睡眠不足は絶対だめです。その時々の条件に合わせた竿の操作が必要で、集中力が要る所以です。鮎釣りの特徴は、集中力・体力が殊に必要とされる釣りであると思います。
 各河川で水質の汚染の進行を肌で感じてきました。多摩川も鮎釣りは段々と上流域に限られてきました。川とのつき合いを大事にしたい。この歓びや楽しみを失ってはならない。自分も川を大事にしなくては、、、、。自分が流す水で河川を汚してはならない。
 東京湾から天然鮎が100万匹も帰って来たという。ここまで改善活動を続けてこられた多くの人達の大変なご苦労の結果と思い、涙が出るくらい有り難い事と思い、一人一人がもっと自然を大事にし、子孫に川や海を昔の姿にして返して行く事が私達の責任と義務であると、時々想う事です。     鮎雄・鮎子

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エッセイ・六十の定年からがおもしろい(4)

新しい道を切り開くパイオニアとして生きる

―60歳からの人生
豊かな齢の重ねかた『老後』を『ハッピ ーエイジ』にするために

工藤 宇一    
ホームページ 定年後の楽しみ

 私にとって老後とは、定年後の人生である。
 定年前、定年後の準備をするのは気が進まなかった。「毎日が日曜日」「濡れ落ち葉」
「人生の墓場」耳にするのは暗いことばかり、それらが誇張された表現だとは思うものの、期待できることは何もなさそうだった。それよりなりより嫌だったのは、定年後のことを考えること自体が自分を小さくしてしまうような気がしたのである。
 これといった準備もせず、定年を迎え、図書館通い、一万歩歩き、地方自治体主催の研修会参加、夫婦の海外旅行と定年者の定番をこなしていった。
 定年生活二年目の春、四十七日間にわたる歩き遍路をした。途中立ち寄った茶店のおじいちゃんの一言が今でも記憶に残っている。
「歩きお遍路さん、でけたらええなあ。健康であること、四十日近く自由な時間を持てること、そしてほんの少しのお金がいるんだけど」
 車では何度も回ったけどついに歩き遍路はできなかったと言っていた。経済的に恵まれているとは決して思えないおじいちゃんが、お金のことを最後の条件として、しかも「ほんのすこし」と形容詞をつけたことに強い印象を受けた。歩き遍路を終えた時「今までの人生の中で一番贅沢な時間を味わった、これ以上贅沢な時間を味わうことはこれからもないだろう」というのが実感だった。
 この頃から定年後の人生は、定年前に想像していたものとは全く違うものだとは感じ始めた。それをはっきりとした形にできるようになったのは、
「定年を境に世界が変わる。定年後の準備をするといっても、それまでの世界の延長と考えていたら意味がないこと。大事なことは世界が変わったときに自分を変えていかなければならない。自分を変えることは苦痛が伴うので大変なことなのだが」
という講談社編「定年学」にある養老猛司さんの談話記事に出会った時だった。
 改めて、定年後の世界を見つめ直してみると、それまで気づかなかったものが見えるようになった。そこには効率(速度)という「ものさし」がないのである。従って他との比較がなく競争がない。「効率のものさし」がない非効率の世界では時間は「使うもの」から「味わうもの」に変わるのだった。
 足立紀尚著「幸福な定年後」のあとがきの一部を紹介する。皆さんはどのように受けとめるのだろうか。
「父は強い日差しを避けるために、眉毛まで隠れるようなスキー用の大型サングラスをかけ、わざわざこのためにだけ買ったらしい大型脚立にまたがって慣れない手つきで剪定ばさみを使っていた。地面に置いたラジカセからは、定年になってから行き始めたという混声合唱団の練習曲をBGM代わりに流しながらパチン、パチンとやっていた。・・・
 翌日、用を済ませて再び実家に戻り、ふと庭先を覗いてみると、父は庭木の剪定を続けていた。すでにお盆も中日を過ぎかけているというのに、相変わらずのんびりとした調子で作業をしているのである。けっきょく庭の手入れに三日ほどかけたようだった。その様子を眺めながら、私は半ばあきれてしまった。いくら定年後のつれづれにやっていることとはいえ、庭一軒の手入れに二日も三日もかかっているようでは、シルバー人材センターの仕事だって務まらないだろう。」
 私自身、もし定年直後に読んでいたら、何の疑問も抱かず、そのまま読み過ごしていただろう。当時の私は著者と同じ考えを持っていた。しかし今では、はっきりと言える「それは違う、お父さんは至福の時を味わっているのだ」と。
 引用の中に、もう一つ、二つの世界の違いを際立たせている箇所がある。
「シルバー人材センターの仕事だって務まらないだろう」との主張である。
 仮にお父さんが「庭の手入れ」を市価の三分の一の価格で、しかも通常より三倍の時間をかけるという条件付で請け負ったとする。となると単価は市場の九分の一。効率を尺度とする社会では絶対に起こりえない話である。だがもしこの取引が成り立てば、頼む方も、お父さんも大満足という結果になる。
 このように視点を変えてみると、効率を尺度としているために生じている様々な矛盾に気付く。お遍路さんをした時、立派に修復改装された道路と道路の間には必ずといっていいほど永い間修復もされず放って置かれたままになっている部分があった。この様な箇所の破損状況は特にひどく側溝の蓋さえない状況になっている。もし近くの住民と応急修復作業に関する何らかの契約ができれば事態は改善されるだろう。
 高知の海岸には立派な公園ができていた。異様に思ったのは豊富な自然に囲まれた場所に、ありきたりなアスレチック広場があったり、また公園内の歩道には東京の銀座ではふさわしいかもしれないタイルが敷き詰められていたことであった。何かがおかしいのである。効率を尺度としている社会では高い材料を使ってでも短期間で工事を仕上げることが最良の方法であると誰もが疑いをはさまないのである。
 効率に対して批判的な見方をするのは、ありあまる時間を持っている定年族だけなのだろうか。いやそうではなさそうだ。同じ主旨の動きが世の中に既に出始めている。スローフード、スローライフである。効率万能主義に対する反省と見直しは世界共通のテーマになっている。その点からすると、我々定年族の方が現役の人たちより時代の先を歩んでいるのではなかろうか。
 四十年近く企業戦士のはしくれとして効率を追及してきた。国際企業間競争を勝ち抜くために、効率が如何に重要なことかは骨身にしみて判っている。と同時に四年半という短い期間ではあるが、非効率の世界に住んでみてその豊かさも十分味わった。
 これからの日本、世界最長寿国として前例のない高齢国になる。どのような国にすれば皆が幸せになれるのか。効率、非効率両方の世界に住んだ者としての提言をしたい。
それは効率、非効率二つの世界がバランスよく共存する国になることだと。
 次の世代のために、今の私に出来ることは、過去の経験知識を伝えることではなく、現在の行動、つまり私の提言を実現するための道を切り開くことだと考えている。
 その道は、重量車が高速で走れるような大きな道ではなく、人一人がようやく歩けるだけの小さな道なのだが。
 私の作った道を、時には修復、時には軌道修正をして、さらに拡張して欲しいと願っている。遍路道が何百年の年月をかけて作られていったように。


付 記
 練馬区在住の工藤宇一さんの作品は、昨年、GE横河メディカルシステム(株)が 『老後』他をテーマに募集したエッセイの中で大賞に輝き、文藝春秋12月号に掲載されました。応募総数599編の中から予選を通過した31編について、作家の渡辺淳一氏らによる最終選考が行われ大賞が決まりました。
 ここに転載することをご快諾いただきました工藤宇一さんとGE横河メディカルシステム(株)広報マネジャー松井亜起さんにお礼を申し上げます。(村上
)   定年後情報満載 工藤さんのホームページ 定年後の楽しみ をご覧ください。

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