おいなりさんのごりやく(日記より)  4区 村上 政美

日記を書くのは「年賀状」のあと久しぶりである。石油価格が急騰している中で、少しでもエネルギーを節約しようと、寝室は湯たんぽだけで一切暖房器具を使わないようにしているから、2階の書斎を温めてまで雑文日記を書くほどの価値がないと思ったこと、またマスコミの報道は、少子化、格差社会、教育崩壊、凶悪犯罪、食料やエネルギー資源の低い自給率、農漁村の疲弊など暗い話ばかり喧伝しているので、うきうきとして雑文書きに興じる気分が出なかったことが主たる理由であった。

日記が書きたくなるような嬉しい出来事は2月11日(月)建国記念日に起きた。この日午後から松原町センターで、碁仇の1人である三浦さんと碁に興じた。80才近い彼は緑町の住人で、以前は3目上手の先生格であった。今は私の先番だが、今年中には握りまたは白になって見せると豪語し、彼の対抗意識をあおり何時までも元気であるよう願っている。

 4時半ごろ帰り家に入ろうとしたら鍵がないではないか。ドアに鍵をかけて出かけたかどうかはっきりした記憶がない。持たないで出かけたのかも知れないと、家の中や、前日「共光稲荷」の初午に出かけたときの外套のポケットなども調べたが見つからない。センターにも自転車で戻り調べてみたが見つからない。ほとんど諦めかけていたが、夕食後一縷の望みを抱いて4丁目の交番を訪ねた。すると拾得物が昭島警察に届いているというではないか。これはこれは。土日の二日間、初午の世話人として仲間と準備や後方付けで一生懸命はたらいたご褒美であったのかと喜ぶ。

12日の朝昭島警察署に出向きドアの鍵と自動車の鍵、そして児童遊園の物置(ときわクラブの輪投げ用品入れ)の鍵を有難くいただいた。ご親切な方に手紙だけでも書きたいと思ったが、お礼などいらないので、住所氏名を明かさないでとの申し出になっているとのことで、署員は教えてくださらなかった。

文藝春秋3月号の中で、130回も来日し馬場やアントニオ猪木と熱戦を繰り広げた「流血の悪役レスラー:アブドラ・ザ・ブッチャー」が、『古き良き日本人』を語っている。

< 昔は、日本人はお互いにリラックスしていて、私のような黒人にもみんなが「おはようございます」と挨拶してくれたが今は日本人同士でも朝の挨拶をしなくなった、ホテルのドアでも開けっ放しにできた、ナイトクラブで財布をテーブルの上に投げ出しておいても平気だった。日本人がアメリカのスタイルを取り入れすぎてしまうと、日本人らしさを失ってしまうのではないかと言いたい。日本人には、ジャパニーズ・スピリットを忘れて欲しくない。> 

日本人の良さをとりもどせないものかと、日頃私たちが感じてきたことを指摘され気が滅入っていたものだが、今回の鍵の一件は、日本人もまだまだ捨てたものではないという希望と、自分の中で失いかけた日本人としての誇りに思いを致す契機になったのである

 

新書の「品格」ブームのはしりとなった藤原正彦著「国家の品格」に私は泣かされた。日本という素晴らしい国に生を受け、70歳までも生き、この間に受けた恩恵にふさわしい「品格ある足跡」を残すことが出来たのだろうかと思うとき忸怩たるものがあり、涙がとまらないのであった。そんなことで、感動した部分を少し引用させていただいた。

< 明治初年に来日し、大森貝塚を発見したアメリカの生物学者モースは、日本人の優雅と温厚に感銘し、(中略)「日本に数ケ月も滞在していると、どんな外国人でも、自分の国では道徳的教訓として重荷となっている善徳や品性を、日本人が生まれながらに持っていることに気づく。最も貧しい人々 でさえ持っている」と。(中略)駐日フランス大使を務めた詩人のポール・クローデルは、大東亜戦争の帰趨のはっきりした昭和18年に、パリでこう言いました。「日本人は貧しい。しかし高貴だ。世界でどうしても生き残って欲しい民族をあげるとしたら、それは日本人だ」>

また、渡辺昇一著「かくて歴史が始まる」の中に幕末の日本人の特徴を鮮やかに示している箇所がある。

<「黒船に乗った白人は世界中に行った。しかし、黒船を見た途端に、自分たちで黒船を造ったのは日本人だけだ」―と。司馬遼太郎氏も書いておられるが、黒船が来たのを見て自力で黒船を造った藩が三つあった。島津の薩摩藩、鍋島の佐賀藩、伊達の伊予宇和島藩がそれで、黒船来航からわずかの期間で、蒸気で動く船を造ってしまった。(中略)また日本人は日米和親条約締結(1854年)の前後、しばしば黒船を訪ねている。そのときの日本人の様子をアメリカ人が書き残しているが、当時の日本人の知力の高さがうかがえて、たいへん興味深い。アメリカ人たちは、「野蛮国」の日本人がさぞや驚くであろうと、最先端の機械などをつぎつぎと見せる。ところが、いっこうに日本人は驚かない。興味深そうにはするのだけれど、驚きの様子がない。また、見たものには何でも触ろうとする。「こんなに何でも触りたがる人種は他に見たことがない」と、アメリカ人が呆れるほどであった。そして、要所要所では、懐から帳面を取り出して、スケッチをしたという。>

 

最後に、麻生太郎著「とてつもない日本」のさわりを引用し、これに夢を託し老いの日記を閉じることにしよう。

<テレビをつければ凄惨な殺人事件ばかりが報じられ、識者と称する人たちが「日本はなぜこんなにおかしくなったのか」などと語っている。新聞やテレビをみていると、まるで明日にでも日本がほろびそうな気がしてくる。

でも、ちょっと待っていただきたい。日本は本当にそんなに「駄目な国」なのだろうか。そんなにお先真っ暗なのだろうか。私は決してそうは思わない。 (中略) 日本という国は諸外国から期待され評価されているし、実際に大きな底力を持っているのである。バブル崩壊以降、日本はもっとグローバル・スタンダードを導入すべし、などという議論が幅をきかせたけれども、私に言わせれば、むしろ「日本流」がグローバル・スタンダードになっている現実もあるのだ。トヨタ、ソニー、カラオケ、マンガ、ニンテンドー、 J ポップ …  。「ノーキ」や「カイゼン」が、世界の経済にどれだけ貢献しているか。インスタント・ラーメンやカップ麺が、どれだけの人を救ったか。日本は、マスコミが言うほどには、決して悪くない。いや、それどころか、まだまだ大いなる潜在力を秘めているのである。日本人のエネルギーはとてつもないものだ。日本はこれから必ずよくなる。日本はとてつもない国なのだ。>     おわり