平素は自治会活動に多大なるご支援ご協力を賜り御礼申し上げます。
「災害は忘れたころにやって来る」と言うことで、4年前の東日本大震災(3.11)を思い起こしてみました。 記憶は段々と薄れて行きますが・・・
あの日私は、現役サラリーマンでしたが振替休日で、金曜日の午後2時半過ぎ、TVのニュース番組を視ていた時です「グラッ!地震だ!」TVの中も(スタジオも)TV本体も揺れています・・・ガスの元栓を確認し「長い?1分以上?」 私は茶箪笥を押さえました。転倒防止金具とガラス飛散防止フィルムは付いて居ましたが・・なぜか茶箪笥を押さえていました。妻は玄関のドアを解放状態にする為、玄関へ・・外を見ると引込線にある五日市線の車両が波打つ様な横揺れ状態で、恐怖を感じました。
揺れが収まってから、両親の安否と家屋の状況を確認し、ご近所に声掛けしました。「長かったですね」
夕方になっても電車は動いていません、拝島駅に様子を見に行くと移動出来ない乗客で混雑していました。バス停は夜遅くまで長蛇の列で・・「自治会館を解放したら・・」と、考えながら・・・帰宅し再びTVで情報を・・その後に津波の映像や、原発の映像を視ていました。会社からは安否確認と出社出来るかのメールが来ていました。14日(月)朝は出社する為、立川駅迄車で行き中央線のホームは大混雑でした。後輩に金曜日はどうしたかと聞くと「会社に泊まりました」と、それは良い判断だと思いました。
その後、輪番停電に由るサーバー停止を発電機で動かす話しとか、出勤カレンダーの見直しとかありましたが、暑い夏を乗り越えその年の9月に定年退職出来ました。
気象庁の「特別警戒情報」−命を守る行動をとって下さい−が出された場合、どう行動をとればよいか
27年度も自治会活動を宜しくお願いいたします。