, 拝島駅前自治会 なんでも掲示版 (53回総会付録) 03.4.20

 自治会の歩み
 自治会の合流
 みんな元気で五十年の体験から生み出された健康法
 自治会行事に参加して
 子ども会って? 〜 TVゲームで過ごす休日にしないために 〜
 成長続くマーチングバンド
 駅前タンゲバンド賛同者募集
 ポールさんからの手紙夏祭りの想い出



 自治会の歩み
       相談役 小澤 智
 駅前自治会館も最近内外の改装が終わり非常に明るい感じになりました。我々老人会も、心のやすらぎの場として、誕生日会・カラオケ会その他に自治会館を使用しております。
 光陰矢の如しの言葉通り、あっと言う間に過ぎてしまった35年間の自治会との関わりの中で、色々な想い出が頭をよぎります。初期の会館は集会所のようなもので、もともと交番として使われていた建物を、先輩達が当局から払い下げてもらったというものでした。当時は夏祭りも今ほど盛大ではありませんでしたが、それなりの楽しみがありました。会合などで酒が出ると、時々喧嘩が始まり、お互いが意地を張り合い、整理がつかなくなるようなことがありました。今になるとそんなことがかえって懐かしく想い出されます。
 当初は会員数も少なく、ほとんどが駅寄りにお住まいの方々でした。後にシャルマンコーポや東建が出来、会員数も増えてまいりました。それにつれて、毎年のように12月になると正月に向けて餅つきをした時期がありました。役員の方々が総出でついた餅を食べ、一日を楽しく過ごしたことが昨日のことのように想い出されます。先日偶然にその当時のテープが出てきました。

 これから先、駅前広場が出来たり、立派な駅舎が出来たりして身近な環境も大きく様変わりすることでしょう。自治会はそのような変化にも対応しながら発展を続けてもらいたいと思います。



 自治会の合流
                               副書記 下 辰 生
 東建ニューハイツが建設され、入居が始まってから、すでに約15年の歳月が経過している。光陰矢の如し、とか過ぎさりし日々の早さにいまさらながら驚いている。
 当時、入居された人達の大半は、比較的若い中年層が占め、子供達も大勢含まれていて、にぎやかな活気に満ちた雰囲気が感じられたものである。私のように停年で、第二の人生の出発地を求めての入居者は余りいなかった。まだ江戸街道は一方通行で、五鉄道跡の道路も整備されておらず、もちろん、マルキタ店もエコス店も、出店されていなかった。  
 私が、当地を安住の地として選んだのには、それなりの理由があった。第一に、妻の実家が近いこと。(年老いた義父母があきる野市野辺で二人でくらしていた。)第二に、拝島駅が、青梅、八高、五日市、西武の各線の通過または始発駅になっていて利便性があること。第三に、玉川上水、多摩川等南北に大きく囲まれた緑の多い環境と、商店街を含めたおだやかな町並みであること、であった。しかし、誤算であったのは、横田基地から発着する航空機のごう音に悩まされ続けていることと、拝島駅が、そのうちに南北道路も開通され、駅前広場も拡張されるだろうと期待していたが、未整備のままで裏切られていることである。

 私は、入居して間もなく、東建管理組合の理事長に推薦され就任したが、東建内の自治会が無かったので、必然的にそのような類似的なことを、為さざるを得なかった。その頃の東建内は活気に満ちてはいたものの、全体として落ちつくのには、多少の時間の経過が必要であったようである。何故ならば、見ず知らずの人達と家族が一度に引っ越してきて間もなくであつたから、当然と言えば当然であった。東建内の新しいルール作りや、予期せぬトラブル発生の解決などに翻弄されていた初夏の頃、当時、駅前自治会副会長の亡き田代強三郎さんが、未だ自治会が結成されていなかった東建二百十戸の駅前自治会への合流加入を勧誘するために、我が家へ来訪されたのである。そして、韓国へ狩猟旅行して鉄砲を撃ってきたことや、日吉神社の例大祭の裏話なども交えながら、東建だけの単独の自治会を発足させるか、或いは、駅前自治会に合流するか、の協議がなされたが、このような大事な話は、私の一存ではいかないので、理事会にはかることにしたのである。

 東建居住者の中には、単独で自治会を結成すべきだとの考え方と、地域社会に不慣れな環境のもとでは、既存の駅前自治会に一括加入すべきである、との考え方に大別されていた。理事会では、すでに学校との関係もあって、駅前自治会の子供会と交流していた東建子供会の役員にも加わってもらって、種々協議をした。その際、一括加入を強く要望したのは、東建子供会の役員の方達でした。結果的にはそれが、一括加入の最大要因となったのである。当時、東建子供会の役員は嶋田、徳竹、山田、原、島田さん達で、子供会の運営にはとても熱心で協力的でした。

 昭和六十三年五月二十二日(日)東建自治会の第一回定期総会にて、東建ニューハイツは、拝島駅前自治会に一括加入することを決議、承認され、同年六月一日で正式加入し、その後、渡辺(区長)他十名(組長)が選出されて、拝島駅前自治会の七区として発足した次第で、管理組合の理事会はその産婆役をつとめたのである。加入するまでには多少の曲折があつたが、松本(朗)元自治会長や役員の方達のご尽力とご協力のお陰で、加入後、万事とどこおりなく推移しており、又歴代の会長、役員の方々の深い包容力とご理解によって、渾然一体の和を作り今日にいたっていることは、誠によろこばしいことである。

         



みんな元気で
 五十年の体験から生み出された健康法
                           3区5組 組長 山岸 兵蔵
   い  今生きる息つくひまも爽やかや
   ろ  六十の定年からが面白い
は  はだか裸、はだしで土をふむ
   ほ  北極星へきあい気合いをかける
   へ  へ屁は健康のバロメータ
   と  とろろじる汁かかさずかけてはらはちぶ腹八分
   ち  ちえ智慧はだいかい大海、いずみ泉の如し
   り  りこう利口より馬鹿になることむず難かしい
   ぬ  ぬかづけ糠漬のビタミンからだ体をリフレッシュに
   を  おんなざか女盛 りは五十から
   わ  若いときからちょうじゅ長寿の設計
   か  かた固いものか噛むほどからだ体強くなる
   よ  よく読めば見えないものが見えてくる
   た  体操の基本前進またバック
   れ  れいせつ礼節を知るたて縦よこ横のお付き合い
   つ  つき月はしょくぶつ植物の母と、いん印てつ哲ウパニシャッド
   ね  ね寝ころんでただまつかぜ松風を聞いている。
   な  長い息して長生きへ
   ら  らっかん楽観は明るいあす明日のひやくだい飛躍台
   む  むさし武蔵の先生大自然
   ゐ  いど緯度けいど経度ほどよい日本ぶんか文化の地
   の  のうてん脳天をたたくひだりて左手、みぎ右のて手で
   く  口あけて太陽さまへのど咽ちんこ
   ま  まいあさ毎朝水を飲む
   け  けん健のまた健、ぼん凡のまた凡むず難しい
   ふ  ふうき富貴はじひ慈悲よりく来るとおし教えられ
   こ  国産のだいず大豆がつくるみそ味噌しょうゆ醤油 
   え  エイナス(こうもん肛門)はウオッシュレットで水洗い
   て  てんしん天心(天の中心)へ心あわせてしんこきゅう深呼吸
   あ  あそびあるクリアランスのれんけつき連結器
   き  教育は地球をみどり緑につくること
   め  め芽の出る食品体をつくる
   し  シリウスのてん天ろう狼せい星がたま魂洗う
   ゑ  笑顔スマイル、スマイルプリーズ
   ひ  ひこ彦ひめ姫はひこ日子 と日女  、世界の人が彦と姫
   せ  せすじ背筋をピンと姿勢よく
   ん  んはあんうんのしめくくり          了



自治会行事に参加して
                       3区3組 組長 片山 久人・久美子
 拝島駅前自治会主催の研修旅行に夫婦で参加した。研修場所は諏訪大社とサントリー白州蒸留所。初めての参加だったが、自治会の活動状況や自治会の人達を知ることが出来た。またこの旅行が、和気藹々の中にも人生の教訓になる中身の濃い研修旅行だったことも付け加えたい。
6月16日午前7時半マルキタ前を出発。まず日本三大奇祭の一つを催す諏訪大社に向かう。ここの奇祭は6年に1回開かれ、45度〜50度の急勾配の坂を4本の御柱と称する樅の木を順次逆さ落としにする。最大の"一の御柱"は直径1.2m、長さ17mほどもあり、毎回4人〜5人の怪我人が出るという。次回はH16年、機会があれば実際に見学してみたいものである。大社前にある実物大の雷電為右衛門像(長野県佐久市出身)も当時の力士気質がうかがわれて興味深い。昼食後、名水の里のサントリー白州蒸留所を見学。ここは南アルプス甲斐駒ヶ岳の麓で風光明媚なところ。蒸留所へ向かう白樺林のアプローチがいい。ここではウイスキー"白州"を製造しており、ウイスキーの製造過程が分かる。ウイスキーの正しい飲み方も教えてくれる。工場内を一回りするとウイスキー博士になれる。"白州"は味も形もスコッチのバランタインに似ている。12年もので6700円、高いか安いか・・・・参考までに"響"30年ものが8万円、高い。試飲コーナーもあり、南アルプス天然水で割ったウイスキーが無料で飲める。最近あまり飲まないウイスキーを再認識した工場見学だった。
甲信地方の・・・・景色がいい、空気がきれい、水がきれい、心身とも洗われた有意義な一日だった。森田事業部長さん始め担当の皆様ありがとうございました。(久人)

 松原町に越して来たのは、昭和63年9月23日でした。あれからもう14年の年月がたちました。越してきてすぐに組長という役割当番となり、やらせていただいて、次の当番がめぐってきたのが、この4月。早いものですが、都会の、しかも自分でもよそもの?と自覚はしていても、常々、ご近所の方々と親しくなりたいという思いはずっと持ち続けてはいました。
 4月、組長になって、バス旅行があるとのお知らせに、迷っている私どもに松原町内会の方々のご好意あるお誘いが大変嬉しく、参加させていただきました。諏訪大社やサントリーワイン工場の見学、バスの中の親睦、役員さんたちの細やかで、あたたかな配慮、議員さんたちの気取らない、ざっくばらんで気さくな態度に好感がもてました。このバス旅行を通して、もっと皆様方とお付き合いしてみたいなと感じたくらいでした。
 お祭りにしても、どこか(私にはそう思えました。)役員の方々が集まり、楽しそうに準備され、参加される大人や子供達が嬉しそうにしている様子が印象的でした。人様に喜んでもらいたい、人様に役立つなら、という願いをこめられている役員さんたちに、知らんふりしがちな、最近の風潮を一掃した前向きな様子にとても、懐かしいというか、郷愁を覚えました。
 町内会の皆様、今後もどうぞよろしくお願いします。そしていろんな方々が興味を持って、行事に参加されることを願っております。本当に有難うございました。(久美子)



子ども会って? 
 〜 TVゲームで過ごす休日にしないために 〜

平成14年度拝島駅前子供会 世話人一同

昨年4月より週休2日が実施され、子供が学校外で過ごす時間が長くなりました。
親も忙しすぎる昨今、家族だけで子供の行動の全てを把握する事が難しくなってきています。家族の目が届かない所を「地域」に甘えてみてはいかがでしょう?

少子化が進んでいるこの時代、子供は地域の宝です。
子供たちが安全にこの町で過ごせるように支えていく、多くの大人の目で子供たちを守ってあげたい。地元の人々が顔を知り合えている、子供のことをどの大人も気にかけている…そんな事が自然に出来るようになればステキだと思いませんか?
子ども会はそんな願いを現実に近づけたい…と日々楽しく活動しています。
夏祭りや自治会対抗運動会では、小さいながら子供にも役割があり、良い緊張感を持ちながら元気に活躍してくれました。資源回収では上級生が下級生を指導しながら(これがなかなか大変らしい)協力して働きました。その日まで知らなかった同士が一つの仕事をやり終えた事で学年を超えて友達になり、解散後も公園で仲良く遊ぶ姿がみられました。

そして今年はさらにラッキーなことがあったのですよ。
昭島市子ども会連絡協議会が40周年を迎えた記念行事の一つとして、2月に「ミステリーツアー」が開催されました。
学年混合の班分けがされ、現地での出し物の練習は学校の休み時間を使い自主的に企画したそうです。(上級生はいつもまとめ役をご苦労さん♪)
行き先は子供にも親にもナイショ…朝7時から夜7時までの長旅(?)。低学年のお子さんを持つご家族は「眠くなってグズるんじゃないかしら」と心配されたようですがとんでもない!!帰りの電車はおしゃべりやゲームで大盛況。お菓子とお茶だけでよくこれだけ賑やかな大宴会が出来るものだと、付き添いのお母さんは感心していました。

休日を家族で過ごすのも大切な事です。
しかし、家族との行動だけでは決して経験することの出来ない世界もあるのです。
友達だけと過ごす時間…学年を超えた友達…みんなで楽しく過ごした色んなイベント…
大人になったとき「○○さんちの☆☆ちゃんとよく遊んだなァ」という思い出を子供たちにプレゼントしてあげたい。

ほんの少しの時間です。地域に子供たちを出してみては?



成長続くマーチングバンド

 マーチングバンド 代表 坂詰 悦子
 マーチングでは、今年度自治会から子供たちに帽子を購入していただきました。今まで使っていたものは、かなり老朽化し修理しても十分な数を確保することが出来なかったので親子共々新しい帽子を前に狂気乱舞でした。本当にありがとうございました。
 マーチングを始めるきっかけは、他の自治会で行っているものを駅前でも始めようと板橋先生が子供たちにご指導を行なってくださったのが始まりだと聞いています。最初は楽器の数も足りずに、みんなで廃品回収をしながら一つ一つ購入していったそうです。そのお話を板橋先生から伺ったときには、本当に手作りで愛情込めて育てていただいたバンドなのだなあと思いました。
 いまでは、トランペットやトロンボーンを始め、打楽器も大小の太鼓だけでなくティナートリオという小さい太鼓が3つついている楽器まであります。新年度は、演奏している姿をお見せできることでしょう。
 今年度新調した帽子も、今までは厚紙に型紙を取り、組み立てて色をつけた手作りのものでした。最初は予算がなく、この型紙も板橋先生の手作りだと伺っています。
 本当に、板橋先生の志に共鳴したみなさんに支えられて今まで続けられたのだと思います。子供たちの楽譜をオリジナルで作ってくださる高橋先生、かぎの当番まで引きうけてくださった岩上先生、いつもパレードの子供たちに寄り添ってくださる高橋先生方のご尽力も大きいものです。そして、親としてマーチングを支えて下さる多くの人々に支えられて今年もつつがなく終わることが出来たのだと思います。多くの人の思いが調和して良い音楽として子供たちがみなさんに表現してくれているのでしょう。
 一時は、楽器の取り合になるほど多くの子供たちが参加した年もあったそうですが、今はそれほど多くの子供が参加しているわけではありません。マーチングバンドとして成長期を終え、成熟期に入ったのかもしれません。今年度から、子供たちの自主的な活動を第一の目標にしました。楽器の扱い方が上手になることも大切なことですが、この少子化の時代でせっかくの知り合った仲間達です。大家族のように高学年のお姉さんと一緒に練習したり、教えてもらったりする時間としても大切にしたいと思っています。
 最近は、5年生のお姉さんを中心にしてみんなが一つにまとまって仲良く楽しそうに練習しています。楽器の後片付けも自分達で出来るようになりました。先日、新しい楽器の割り当ても無事に終わり新しい曲の練習に向かってみんな張り切っています。地域の子供たちと仲良くなれる良い機会です。是非たくさんの子供たちと一緒に演奏出来るといいと思っています。練習は都合のつくときだけでも構いませんので、一度自治会館を覗いてください。



駅前タンゲバンド賛同者募集


                       書記 丹下 保男
 バンドの結成は、平成12年に自治会館であった宴会の後、カラオケに流れた仲間たちの談話の中から偶発的に芽吹きはじめたもので、コンセプトは、とにもかくにも楽器らしき物を鳴らしたり叩いたりしてみんなで楽しもうということでした。
 まだ自治会の中で認知された団体ではなく、予算がつくような状態ではありませんが、不定期ながら小学校の視聴覚室をお借りしながら楽しい練習は続いています。
 バンド名はタンゴバンドを連想させる語呂と、響きの良さがうけて"タンゲバンド"と仮称されているものですから、メンバーが増えて内容が充実することになれば、みんなで愛称を相談しなおしてもよいことです。
 13年の夏祭りで晴の初舞台(?)を経験し、14年の夏祭りには作詞・作曲高橋一雄・伊藤寛による"拝島駅前お祭り音頭"を披露させてもらいました。音頭の演奏充実と踊りの振り付け、慰問演奏など夢はまだまだあります。コンセプトにご賛同いただき参加を希望される方々お待ちします。             T 丹下 543−5849



ポールさんからの手紙
夏祭りの想い出

Haijima Matsuri
 In January, 1992, we first came to Matsubara-cho. Every year we wanted to go to the Matsuri. Until 1995, it was in a nearby parking lot. After that, it was in a nearby park. Every August we saw children's posters. The matsuri is coming. We would get excited. In 1996 I spoke with our neighbor Yanagawa san. "Please help." he said. Amazing. Very enjoyable I thought. It was interesting. And a little difficult.  [mikoshi carrying picture.]
 The following years, I did not carry the mikoshi. I am lazy. But, the Haijima Matsuri is fun, so we went. We listened to music, ate Japanese food, drank osake and beer, watched the dancers, and talked with Japanese friends. We met new friends.
 Now, in America, I long for the matsuri, but more I miss my neighbor friends. Takayamasan, Shimizusan, Sakonakasan, Yanagawasan, and Murakamisan.
 This year I want to go to the Haijima matsuri again but from America it is a little difficult.
I will dream.
 In 1996, in our family newsletter, I wrote about the matsuri. Now, that newsletter is on the internet. Sorry, it is English only but please
look. <http://homepage.mac.com/wehrp/jbj/J63/paul.html#paul>.
 After, we had no time so I only took pictures of Matsubara-cho. Those matsuri pictures are here <http://homepage.mac.com/wehrp/fun/2K0819.html> and
<http://homepage.mac.com/wehrp/fun/010818.html>.
 This year please have fun. I did not study Japanese language very well. I am very sorry.

Paul Wehr  
330 Smith Street
Fort Collins, Colorado 80524-2940 USA email: pwehr@attbi.com
                                 
 1992年1月にはじめて松原町に来ました。毎年夏祭りに行きました。祭り広場は、1995年まで近くの駐車場でしたが、その後近くの公園に変わりました。毎年8月になると、こども達が作ったポスターを見て祭りが近いことを知りわくわくしたものです。1996年に、近所に住む柳川さんとお話しました。彼は"どうかおたすけください"と言いました。これには驚きました。とても楽しい気分になりましたが、ちょっと難しいことでした。 [お神輿を担いでいる写真]
 その後数年は、お神輿を担ぎませんでした。怠け者ですね。でも夏祭りには楽しかったから行きました。音楽を聴いて、日本料理をたべて、お酒やビールを飲んで、盆踊りを見ました。そして日本の友達とおしゃべりし、新しい友達が増えました。今はアメリカですが、夏祭りには憧れています。もっと寂しいのは近所の、高山さん、清水さん、迫中さん、村上さんたちに会えないことです。今年はもう一回拝島駅前の夏祭りに行きたいと思いますが、アメリカからは難しいですね。私は夏祭りの夢を見るでしょう。
 1996年に、私たち家族のニュースレターに夏祭りについて書きました。現在、インターネット<http://homepage.mac.com/wehrp/jbj/J63/paul.html#paul>.でニュースレターを見ることができますが、英文のみで申し訳ありません。日本にいる時間がなくなってから松原町の写真だけを撮りました。それらを<http://homepage.mac.com/wehrp/ fun/2K0819.html>と<http://homepage.mac.com/wehrp/fun/010818.html>に載せました。今年がたのしい年でありますように。熱心に日本語を勉強しませんでした。ごめんなさい。

 
〈付記〉
ポールさん家族は、約12年間2区に住んでおられ、夏祭り直前の8月10日に帰国されました。ご家族は皆気さくで、近隣ととても仲が良く、毎年のようにお神輿を担いでくれました。ホームページにはコロラド州の新しい家が載っています。
                    (訳と付記:村上)



拝島駅前自治会ホームページ

http://www.gws.ne.jp/home/haijima/jichikai.html

 3年前にホームページに議案書の要旨や夏祭りの写真などを掲載してきましたが、結構見られているようで、町田市の方からは次のようなメールが届きました。(総務部)

拝島駅前自治会様のホームページを拝見して
 はじめてご連絡いたします。東京都町田市にあります忠生忠霊自治会の宮松です。
 貴会のホームページを拝見し、活動がよくわかりすばらしいホームページと思いました。
そこで、当自治会のサイトの中にある全国町内会192団体にリンクさせて頂きました。なお、良ければ、相互リンクしていただけないでしょうか?ご検討ください。
 今後とも、よろしくお願いいたします。

アドレス http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Hinoki/1290/
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忠生忠霊地区自治会(東京都町田市)
副会長 宮松 英吉 アドレス rimisuke@lycos.jp   



自治会の議案書は毎年かなりのページ数になり、印刷製本には大変な労力がかかっていました。掲示版でまたページを増やすことには躊躇しましたが、総会とか役員会とかではなく、道ばたの立ち話で耳にする会員の声の中には、自治会に対する貴重なご意見や情報など、大勢の方々にもお伝えすべきことがあり、このようなことにしてみました。議案書本体はページ数を削ったことで、従来のような見やすさが犠牲になったことをご理解をいただきたいと思います。(総務部)



楽しそうにお神輿を担ぐポールさん
昭島市から貸与された掲示板
松原町4丁目交差点前
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